第52回全日本実業団ハーフマラソンが2月11日、山口市の維新みらいふスタジアムを発着点とする21.0975kmのコースで行われた。女子は6年ぶりハーフマラソン出場だった樺沢和佳奈(24、三井住友海上)が、1時間10分13秒で優勝。終盤まで健闘していた西村美月(19、天満屋)を残り1kmからのスパートで引き離した。男子ではパリ五輪マラソン3枠目を狙う西山和弥(25、トヨタ自動車)、菊地駿弥(25、中国電力)、土井大輔(27、黒崎播磨)の3人が、予定通りのタイムで走りきった。
樺沢が原点の場所・山口からパリへ
5kmは17分09秒、10kmは33分49秒の通過。樺沢は「スローの展開だった」と感じながらも、自ら速いペースに持ち込もうとはしなかった。
「(11.81kmの)折り返し直後に少し、トップに出たシーンがありました。良い感じ、行っちゃおうかな、とも思ったのですが、優勝したい思いがよぎって行けませんでしたね。呼吸は楽で、はーはー言うことはなかったのですが、脚は意外と張っていましたし。マラソンは30km以降に急にキツくなると聞いてますから、ハーフマラソンもラスト3kmとかで止まってしまったら、終わってしまうこともあるのかな、と」
大学1年時以来6年ぶりの21.0975km出場で、自身の余力を正確に判断できなかった可能性もあるが、今の樺沢にとって一番重要なのは、「パリ五輪の5000m出場」につなげることだった。そのためには“ハーフマラソンの終盤で失速しないこと”が必要だった。
長い距離の練習をすることでもスピードが上がる。そのタイプのランナーであることは、昨年9月の全日本実業団陸上で実証済み。夏に30km走を4、5本行っても、1500mで4分11秒53の自己新、シーズン日本4位記録を出した。
ハーフマラソンを走り切れば、トラックシーズンに入ってからも、長い練習メニューの設定タイムを上げられる。だが今大会で失速したら、自信を持ってそれができなくなる。樺沢にとってレース終盤での失速は、絶対に起きてはいけない大会だったのだ。それをするために優勝にこだわった。
そんな樺沢が終盤を強気で走ることができたのは、一番は練習してきた内容への自信だった。夏に続き年末年始も、持久系の練習を多く行ってきた。直前の実業団連合合宿では集団の中でも動きを乱さない走りをシミュレーションできたし、10km変化走+5000mではトップで走り切った。
そしてメンタル的にも「全国中学駅伝のときに泊まっていたホテルが、この大会のラスト3kmのところにあった」ことが、樺沢の終盤の走りを勇気づけた。
樺沢は中学時代に個人でも全国優勝(ジュニアオリンピック3000m)した選手だが、全国中学駅伝にも3年間出場し、2、3年時には2連勝を果たした。高校1年時も国体1500m優勝し、2年時にはU18世界陸上、3年時にはU20世界陸上の日本代表に選ばれた。
大学、実業団でも全国大会入賞レベルは維持してきたが、五輪&世界陸上で入賞している1学年下の田中希実(24、New Balance)や、2学年下の廣中璃梨佳(23、JP日本郵政グループ)らに差を開けられている。しかし昨シーズンは5000mで15分18秒76の自己新、田中、廣中に続くシーズン日本3位のタイムを出した。パリ五輪参加標準記録の、14分52秒00を目指す段階まで成長した。
「全国中学駅伝は、陸上競技を極めていこうと思った最初の大会、きっかけなんです」そのときに泊まったホテルを10年ぶりに目にしたことが、ハーフマラソンの走りを後押しした。自身の原点と今がつながったと感じた樺沢の、パリ五輪に向かう意欲が増す大会になった。