フェスティバルが回を重ねるごとに小澤さんも年を取り、体調面を考慮して指揮を見合わせることも出てきました。

それでも32年前、小澤さんが夢見た音楽祭は、その功績を称え、「セイジ・オザワ松本フェスティバル」と名称を変え、信州の地にしっかりと根を張りました。

(2016年・小澤さん)「(感極まって)長野県の人、松本の人…人がすばらしいです」

生前、小澤さんは、音楽の魅力や厳しさを語っています。

(2002年 小澤さん)「東洋人で、クラシックの音楽を一生やるっていうのはヨーロッパなどの外で見ると大変なこと。難しいですよ 勉強しなきゃいけないから大変なんですよ、これだけいい仲間がいたら指揮者がぼやぼやしてたらどうにもならないんですよ」