
氷見市から北に30km、能登半島中央部の石川県七尾市。当日、観測した最大震度は「6強」。街のいたるところで、建物が崩れていました。

(七尾市に住む 岡田花子さん)
「(地震の時は)孫と二人でここに隠れた」

この街に住む岡田花子(おかだ・はなこ)さんです。倒壊を免れた自宅でいまも1人、生活していますが…
(岡田花子さん)
「困っていることと言ったら『水』がまだ来ないもんで、それが一番こまってるけれども…」
「断水」に悩まされていました。
(岡田花子さん)
「これ…ほら、全然(笑)」

地震から1か月以上経った今も水道・下水道が復旧しておらず、「お風呂は週に1回」など不便を強いられています。
(岡田花子さん)
「『水』と言ったら、食べ物ももちろんやれど、お風呂、洗濯、トイレ、生活の一番気をつけなければならない部分が一番都合が悪いもんで、おかげさんで電気だけは来とるからなんとかあれですけど、水は待つしかないね」
そうした中、こんな工夫もみられました。
(岡田花子さん)
「『雪』やよ!今は雪でええがいね、もったいない暮らし、雪使わな!」
(ディレクター)
「なるほど、生活の知恵というか…」
(岡田花子さん)
「そうそう、ばあちゃんのすることやわいね。ほいたら鍋洗ったりできるやろ?」

これで食器を洗った後、最後にきれいな水で洗い流すそうで、まさに“おばあちゃんの知恵”です。今なおそんな生活をしている岡田さんが、「備えておけばよかったこと」を私たちに語ってくれました。
(岡田花子さん)
「何を備えとっても、何を気にしとっても、その場になったらもたもたになるけど、1つだけ『これをしておけばよかった』って思うのは、私ん家、お風呂があるねんけど、せめてお風呂に水をいっぱい張っておけばかったなって、それだけは思います」

(岡田花子さん)
「1日、2日と(電気が)止まって、3日に来たので…」
…と、話していた岡田さん、突然、“あるもの”を取り出しました。

(岡田花子さん)
「ずーっとメモしてあるよ」
取り出したのは、手作りの冊子。岡田さんはここに、元日の地震が起きた時からこれまでの出来事を、日記のように記していたのです。

(岡田花子さん)
「1日だけ読んでみようか?」
(岡田さんの日記より)
「4時すぎ、強い地震。ああ、びっくりした。すぐに(隣から)孫が来てくれる。直後、もっと強く長い地震。2人でテーブルの下へもぐる。食器棚からコップや皿がたくさん落ちて割れる。すごかった。外へ出ると隣の家が潰れている。中に(隣人は)いなかっただろうか、そばで呼ぶが反応なし。直後、『津波が来る』。私は聞いてない。娘が車を出して、すぐに姉のところへ行くという。片付けも、電気も、ご馳走も、そのままに出る。その時、停電となる…」

(京面龍太郎アナウンサー)
「これはどうして書かれたんですか?」
(岡田花子さん)
「『どんなことが困ったか』とか『いつ、どこへ水を貰いに行ったか』とか、そんなようなことが後で何か役に立つか、それとも『もうちょっと歳がいった時に、これを見ながら笑い話になるかな』、そんなことを思って…」
岡田さんが苦労しながら書き留めたその“記録”は、いつの日か、きっと、私たちの役に立つことでしょう。
実家が傾いた氷見市の左尾さんは、その後市役所で罹災証明をもらい、結果は「全壊」で「公費解体」が決まり、今後は左尾さんの家で両親と同居されるそうです。














