「…みんなで行こう」ほとんどの住民がわずか2日間で金沢へ避難
JNN取材団記者
「11日午前9時過ぎ、南志見公民館にヘリの第1陣が到着しました」
全住民を対象とした集団避難は10日と11日に行われ、住民は住み慣れた南志見を離れます。避難先となった金沢市額谷町の体育館には、ペットを飼育するスペースも設けられました。

「ほっとした。夕べはよく寝られた。身軽なもんでほとんど貴重品だけ持って来た」(集団避難してきた高齢女性)
避難してきた人は安どの表情を浮かべました。
しかし避難生活が長くなるにつれ、望郷の念も膨らんできます。
「主人もお墓入れてきたし、子ども2人もお墓入れてきた。やっぱり帰って朝晩、おはようやおやすみを言いたい。輪島の南志見に帰りたいね」(別の高齢女性)
「能登に人がいなくなる」集落に残る決断をした人たち
一方で集団避難せず、南志見に留まることを決めた人も。
山崎正彦さん
「向こう行ってバラバラになって、帰ってくる人何人おるかなあ。寂しい」
工務店を営む山崎正彦さん。断水がつづく地域に残った人々の間を奔走していました。雨水をためて風呂や洗い物に使えるよう供給用のポンプを設置しています。
山崎正彦さん
「雨どいに落ちてきた水がそこをつたってタンクに。勝手に考えてやっとるだけ、教科書にもない。使命感というか…ここに育てられて恩返しやね」

輪島市議会議員の大宮正さんも、住み慣れた土地に残る決断をしました。
大宮正 市議会議員
「この町を俺が守るぞってこの分団でずっとやってきたんや、生意気にも」向こうで仕事見つけて子供のためにもという方向に向かれたら輪島市は怖いな。1日も早く復興せんと能登全体が人間いなくなる」
多くの住民は二度と南志見に戻ってこないのでは…そんな不安を振り払うかのように、閑散とした町をパトロールして周ります。
大宮正 市議会議員
「とにかく1日でも早く皆さんがここに帰ってこれるように…それだけ」
地震で多くのものが失われた中…無事だったものも。