警視庁に身柄を確保された桐島聡容疑者(70)とみられる男が、けさ、入院先の病院で死亡しました。

男は「音楽好きの良いおじさん」として周囲に溶け込み、生活を送っていたことがわかってきました。

愛称は「うっちー」 静かに飲み、音楽に合わせ踊るときも

男の口から、事件について語られることはなくなりました。

29日朝、午前7時33分。神奈川県・鎌倉市の病院で、指名手配されていた桐島聡容疑者とみられる男の死亡が確認されました。病死でした。

桐島聡容疑者とみられる男
「自分は桐島聡です。最期は本名で迎えたかった」

末期がんを患っていた男は1月25日、病院関係者にこう打ち明け、「重要指名手配犯」の捜査が大きく進展しました。

桐島容疑者が手配された容疑は、1975年4月19日未明に東京・銀座の「韓国産業経済研究所」で起きた、手製の時限爆弾による爆破事件。

警視庁は男のDNA型の鑑定を進めていますが、取材を進めると、約50年に及ぶ潜伏生活の実態が分かってきました。

男は「内田洋」の名前で数十年間にわたり藤沢市内の工務店で住み込みで働きながら潜伏していたとみられていて、近所では酒を酌み交わし、親しい仲になった人もいました。

「内田洋」名乗る男の知人
「『うっちー』という名で、みんな親しくしていました。音楽好きの良いおじさん。特にジェームス・ブラウンとか、乗りの良い音楽が好きだった。

イベントとかライブがあったりすると盛り上げたりとか、音楽がすごく好きな人。静かに飲んで、時々音楽に合わせて軽く踊ったりとか」

「うっちー」と呼ばれ親しまれていた男は、自宅に知人を招くこともあったといいます。

「内田洋」名乗る男の知人
「音楽ビデオが(自宅に)たくさんあるので、整理するものもあってあげるよと、もらいに行った。(ビデオは)ロック系のものが多かった気がする」

潜伏生活のさなか、大胆にも周囲と交流していたとみられる男。しかし1月中旬、転機が訪れます。

男を助けた近所の人
「通りかかった時に倒れて、『うー』という感じ。しゃがみ込んでいた。『実は買い物に行きたかった』と言っていた」

自宅のすぐそばで倒れた男は、自力で立ち上がることができず、自動販売機の前に座り込んでいたといいます。

男は男性2人に対し、声にならない声で自宅の場所を伝え、脇を抱えられながら自宅へ…。

玄関には南京錠がかけられていて、男性が扉を開けると、6畳ほどの部屋にはストーブが2個置かれ、段ボール箱などが散乱して、足の踏み場もなかったといいます。

男はこの直後、自宅から入院先の病院に運ばれたとみられています。

警視庁は、桐島容疑者が長期間にわたり神奈川県内に潜伏し、支援していた人がいる可能性もあるとみて調べています。