前田穂南(27、天満屋)にとって、“アレ”を目標としたことが良かったようだ。1月28日の大阪国際女子マラソンに2時間18分59秒の日本新で優勝した前田が、一夜明けた29日、大阪市内のホテルで記者会見した。レース後に、目標としていた“アレ”が19年ぶりとなる日本記録更新だったことを明かしたが、翌日取材においても“アレ”について語っていた。
快走の裏に厚底シューズへの対応成功
前田は東京五輪代表選考レースだった19年9月のMGC(マラソン・グランドチャンピオンシップ。五輪代表3枠のうち2人が決定。東京開催)で優勝した。2位の鈴木亜由子(32、JP日本郵政グループ)を3分47秒、距離にすると1km以上も引き離す圧勝だった。しかし東京五輪本番は3枠目で代表入りした一山麻緒(26、資生堂。当時ワコール)が、8位に入賞した。それに対し前田は、故障による準備不足が影響して33位と敗れた。パリ五輪でのリベンジを自身に誓ったが、東京五輪以降も故障が続いていた。心が折れかかった時期もあったという。
だが、記録が出やすい厚底シューズへの対応に成功したことで、故障が減り始めた。昨年3月の名古屋ウィメンズマラソンが東京五輪以来、1年7か月ぶりのマラソン出場だったが、2時間22分32秒の自己新で3位(日本人2位。日本人1位は鈴木亜由子)に入った。
当時の取材で天満屋・武冨豊監督は次のように話していた。「去年(22年)の秋くらいまでは、良いときと比べて肩に力が入ってガツガツした走りでした。厚底シューズとケンカしているような走りでしたね。上体に力を入れないと進まない。厚底に慣れないといけないですからジョグでも履くようにしていましたし、靴ひもを緩めるようになってからは足底の痛みが出なくなって、変に力を入れなくなった。名古屋ウィメンズマラソンでは、距離をそんなに走らなくても結果を出したので、無理をしないことを覚えたはずです」
厚底シューズに慣れていく過程を前田自身も、今回の一夜明け会見で次のように話していた。「薄底シューズの頃は足の指を使って、掻いて走るような動作でしたが、厚底に慣れてからは指で掻かないで、足裏全体で地面を捉える動きになりました」
マラソンの42.195kmを走った後のダメージも、以前とは違ってきた。「薄底の頃はふくらはぎが、痛いくらいに筋肉痛になりました。今回で厚底は3回目のマラソンになりますが、脛とヒザ下が硬くはなっていますが、ダメージはそんなにありません」
最初に厚底シューズで出場したのが昨年の名古屋で、2回目が10月のMGC。MGC前にもかなり良い練習ができていたと、武冨監督は話していた。だがMGCは中盤で積極的に前に出たが、2時間27分02秒の7位。優勝した鈴木優花(24、第一生命グループ)と2位の一山がパリ五輪代表内定を決め、前田は一山から2分19秒差の完敗だった。
MGCの敗因の1つだったメンタル面の力みを克服するために
最大の敗因は、雨と低温により体が冷えてしまったこと。夏場に行われるパリ五輪を考え、暑いコンディションになることも想定しての10月開催だったが、正反対の気象条件下で行われた。天満屋陣営が敗因として言っているわけではないが、前田は寒さが苦手だった(鈴木亜由子も)。
そしてもう1つの敗因は、前田の精神面の力みにあった。武冨監督は大阪国際女子マラソン2日前の取材に、次のように話している。「MGCのときは連覇だのなんだと考えすぎて、取材にも優勝が目標ですと(強く)話していましたし、レース展開も気負い過ぎていました」
MGCでパリ五輪代表2枠が埋まったが、残り1枠はMGCファイナルチャレンジ2大会(大阪国際女子マラソンと3月の名古屋ウィメンズマラソン)で、設定記録の2時間21分41秒をクリアした最上位選手が選ばれる。「名古屋でも記録が出るかもしれないから、タイムを縮めていくことに集中した練習をする。パリ五輪代表は後から付いてくるもので、タイムを出さなければオリンピックも何もない。そこを素直に受け容れてくれたのでしょう」
武冨監督の考えを理解して前田なりに立てた目標が、“アレ”だった。一夜明け会見で“アレ”を目標とした理由を、前田が次のように話した。「(MGCのときは)目標を掲げることで、プレッシャーというか、重い感じがすごくありました。ちょうどその頃(阪神タイガースが優勝して)岡田彰布監督が“アレ”という言葉を使われていて、その考え方もいいなと思って使わせていただいています。(その効果は)あったと思います」
MGCファイナルチャレンジ設定記録の2時間21分41秒を出すための練習では、今の女子マラソンで代表入りはできない。それは有力選手たちの共通認識でもあった。武冨監督は野口みずきがアテネ五輪金メダルを獲得し、前日本記録の2時間19分12秒を出した04~05年頃の練習タイムを参考に、大阪に向けての練習を組み立てたという。
「これまでで一番速いタイムで練習ができました」(武冨監督)日本人初の2時間18分台はこうして誕生した。
パリ五輪代表は、名古屋ウィメンズマラソンが終わらないと決まらないが、前田は東京のときからパリに向けて強い思いを持ち続けてきた。「東京五輪ではすごく悔しい思いをしました。パリ五輪では世界と勝負して、自分の走りで走り切りたい。代表はまだわかりませんが、大阪では今の力を出し切ることができたので、あとは待つのみです」
今大会前の“アレ”には、周囲を煙に巻くような雰囲気もあった。だが一夜明け会見で次の目標を問われた前田は、「“アレ”です」と、笑みを浮かべながらもきっぱりと答えた。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)