パーティー券を使った裏金作りのシステムがいわば慣習化した疑いのある安倍派。そのカリスマ的領袖だった亡き安倍元総理。そして政権運営の危機に立たされる岸田総理。二人の総理は奇しくも1993年初当選の同期だ。そしてもう一人同期にして総理経験者がいる。
現在、立憲民主党最高顧問の野田佳彦氏だ。野田氏は政治改革を掲げ政界に飛び込み、終始一貫して不透明な政治と金の関係を否定してきた。そんな野田氏が今思うこととは…。
「94年に政治改革法を作ったんだけど抜け穴があった」

朝6時半に千葉県船橋市の北習志野駅を番組スタッフが訪れると、駅前で手製のビラを行き交う人一人一人に手渡す元総理大臣の姿が。野田佳彦氏は地元でのいわゆる辻立ちを27歳から現在まで38年間続けている。月~金で早朝から2、3時間。毎朝4時起きだ。酒豪で知られる野田氏は酒も毎晩飲むというが「毎朝辛いです、行きたくないなと思いながら38年やってます」と笑う。

辻立ちを始めた20代の頃から「お金のかかる選挙は完璧に打破する」と言い切っていた。
そして、リクルート事件、ゼネコン汚職事件経て政治不信が極まっていた1993年、細川護熙氏の日本新党の結党に参加。自らも初当選を果たした。野田氏は当時を振り返る…


立憲民主党最高顧問 野田佳彦元総理
「30年前…。私、政治家になって一番高揚した瞬間だった。選挙の最大の争点は政治改革だった。当選できて、(改革の)議論の場に参加できて、細川(総理)さんと河野(野党・自民党総裁)さんが万年筆交換して改革の合意形成に至って…、もの凄い達成感があった。(中略)でも94年に政治改革法作ったんだけど抜け穴があった。そのほころびが今出てきた…。だからもう一回、令和の政治改革やらなきゃいけないと思ってます」
94年に成立した『政治改革関連法』では政治資金規正法が改正され、政治家個人への企業・団体献金を5年後に禁止することを決めた。だが細川政権は5年ももたなかった。政権を取り戻した自民党は“政治家個人への政党・政党支部からの寄付は認める”という条文を加えてしまった。つまり政治家個人への企業・団体献金は禁じられたが、企業・団体から政党・政党支部への献金は規制されず、その政党・政党支部から個人への寄付は許される。政党支部はその選挙区の議員が代表者だ。結局、企業・団体のお金が政治家個人に渡ることと何ら違いはない。これが“抜け穴”となって裏金作りの地盤を築いたのだった。