軍政、逮捕、有罪、退去強制、収容、難民不認定、敗訴、仮放免…

「いまのミャンマーはひどい」。
クーデター直後からマウンさんは街頭に出た。

在日ビルマ大使館前での軍政抗議デモ、日本の外務省前で軍事政権を支持しないように求めるデモ、国連大学前での48時間ハンガーストライキ…。

そして22年7月、5回目となる難民申請をした。くしくもこの日、悲しい知らせが届いた。ミャンマーで民主活動家ら4人の死刑が執行された。この中の1人は、かつて来日した際、マウンさんらが講演会を主催し、ともに記念写真に収まった人だった。

「ミャンマーの人たちのために闘った人。みんなが好きだった」

同年11月、難民調査官によるインタビューがあった。マウンさんは、クーデター後の活動を中心に答えたという。

そして、1年が過ぎた。何の音沙汰もない。自分の難民申請がどうなっているのか、まったくわからない。ただ毎日、連絡を待つだけだ。

裁判で代理人を務めた渡辺彰悟弁護士が語る。
「入管庁は制度上、難民かどうかの結論が出るまでは在留資格に手を付けられないとしているが、すでに本人のインタビューから1年以上が経過している。クーデター後の活動の事情なども加味して早期に在留を正規化することが求められている。16年もの長期にわたって仮放免状態に置くことは、人間の尊厳を大きく損ねる」

マウンさんの半生は、祖国の軍政、日本での逮捕、有罪判決、収容、退去強制、難民不認定、裁判での敗訴…と、強大な「権力」に翻弄されてきた。

改定された入管法は、3回以上の難民申請者の強制送還を可能にした。マウンさんの申請は5回目だ。とはいえ、現在のミャンマーの状況で帰国させることはあり得ない。日本で暮らすしか選択肢はない。

「いままでは周りの人が助けてくれた。日本のルールもわかっているし、ルールも守っている。でも未来はわからない」

いま、マウンさんにとって厳しい現実を一瞬、忘れられるのが、少林寺拳法の稽古に熱中している時だという。支援者や仲間とともに7年続けた成果で黒帯を締めるようになり、来年は3段昇格を目指す。

別れ際、マウンさんは、新たな年に在留資格が得られれば、仕事に就いて自立し、少林寺拳法の先生も目指したいと語った。

今年、難民申請者が急増している。認定NPO法人「難民支援協会」によると、23年の難民申請は、11月までに把握できた数で約1万2500人、22年の3772人を大幅に上回る。コロナ禍で制限されていた外国人の入国が緩和された影響と見られる。

振り返れば、入管法改定に際して、齋藤健法相(当時)は再三、繰り返していた。「保護すべき者を確実に保護する」
いま、その言葉が、問われている。

改定された入管法施行に反対し、仮放免中の子どもたちに在留資格を与えることなどを求めるデモ(12月10日、東京・上野恩賜公園ほか)
改定された入管法施行に反対し、仮放免中の子どもたちに在留資格を与えることなどを求めるデモ(12月10日、東京・上野恩賜公園ほか)