一攫千金の予感
石人形を取っている錦帯橋の近くの錦川で、実際に探してみました。
横田館長
「コツはですね、半分埋まっているような石、ここに・・・ありますよ」
「砂利みたいなのがくっつきすぎて、これは人っぽくないでしょ?で、こっちは、一応頭があって袖部分があってみたいな感じなので、石人形として使えるかなという、まぁ、これもそんなにいい方じゃないですけど」
スタッフ
「えぇ~!じゃあ、本当にいいのって少ないですね」

横田館長
「そうですよ。本当に形がよくて大きいものは100個に1個くらいかもしれないですね」
その希少性もあり、古くから岩国市の名物とされてきた石人形。そうは言っても、なぜそこまで大切にされてきたのでしょうか?
横田館長
「石人形は、錦帯橋の人柱となった乙女の生まれ変わりだと言われて、それで、大切にされてきたんです。」
その昔、錦川には幾度となく橋が架けられ、洪水で流失してきました。1673年、苦労の末に渡した錦帯橋でさえ、翌年の梅雨、流されてしまいました。「もはや人柱を立てるほかない」町の人々が相談した結果、橋を守るために人の命を神にささげることとなりました。
すると、一人の武士が名乗りを上げ、人柱になることが決まりました。しかし、その武士には2人の娘がいました。父を失うことを悲しんだ姉妹は、その身代わりにと、橋の下深くに自らの身を没したのです。そうして完成した錦帯橋は、どんな洪水でも流失することなく、300年近くも存続したのです。
するとその後、錦帯橋の下の川では、小さな石人形が、ぽつりぽつりと見つかるようになりました。『この石人形は、あの娘たちの生まれ変わりだ』人々は二人の娘をしのび、語り伝えたそうです。
以来、石人形は俳句や漢文などにも登場し、岩国市に独自の文化の発展をもたらしました。
横田館長
「石人形も、江戸時代の頃から錦帯橋とともに歩んできた歴史があるので、錦帯橋に来たら、そういった伝説に思いをはせてみるのもいいんじゃないかなと思いますね」

今年で創建350年を迎えた錦帯橋。ユネスコの諮問機関から専門家が視察に訪れ、世界文化遺産登録への熱が高まっています。そんな錦帯橋をもとに生まれた石人形は錦帯橋と岩国市独自の文化の『架け橋』としてその礎を築いたようです。















