束の間、イスラエルとイスラム組織ハマスとの間で成立した“戦闘一時休止”は、12月1日に崩れ去った。時を同じくして、岸田総理はイスラエルの大統領と向き合い、緊張緩和を促していた。“戦闘再開”の一報を聞き、総理は「残念だ」と肩を落としたという。舞台裏で何が起きていたのか。(TBSテレビ報道局「news23」ジャーナリスト 宮本晴代)

状況は刻一刻と変わっていた。
イスラエルとハマスとの間で、初めに“戦闘一時休止”の合意が結ばれたのは11月24日のことだ。戦闘の止む間、ハマス側は人質を解放し、イスラエル側はパレスチナ・ガザ地区への人道支援の搬入を許可した。
岸田総理一行が、UAE=アラブ首長国連邦のドバイに向かったのは11月30日午後2時半頃。羽田を発つ直前、“戦闘一時休止”の2度目の延長が決まったことが分かった。だが、延長の期間はたったの1日。これを聞いた外務省幹部は、政府専用機で情報収集をしながら「だんだん状況が厳しくなっている」と覚悟はしていたという。

そもそも岸田総理がドバイを訪れたのは、気候変動対策を話し合う国連の会議「COP28」に出席するためだ。だが、もう一つ重要だったのが、140を超える国や関係機関のトップが中東に集うこの機会に、パレスチナ情勢について各国首脳と膝詰めで話し合うことだった。岸田総理は2年前、イギリスで開かれたCOPに出席しているが、この時は移動を含め2日間という“弾丸ツアー”だった。これに対し、今回は移動を含めて4日間。中東地域のキープレーヤーたちと、可能な限り会う方針で臨んだ。「この問題に対する総理の意欲の表れだった」と政府高官は解説する。

日本側が最優先で首脳会談を調整した相手が、イスラエルのヘルツォグ大統領だった。ハマスとの戦闘開始後、岸田総理とイスラエルの首脳が対面で会うのは初めてのことになる。イスラエルでは、行政権は首相であるネタニヤフ氏が握り、大統領は国の“象徴”的な存在とされる。それでも、ヘルツォグ氏は国内で一定程度の影響力があるとされ、穏健派と評されている(外務省幹部)ことから、日本側はこの会談を重視した。
決まった会談予定時刻は、現地時間12月1日午前8時半。岸田総理にとってはドバイ滞在中の初めての公式日程となる。「一番良いタイミングで会談がセットできた」と、ある政府関係者は評した。これだけ早い時間帯に会えるということは、イスラエル側も日本を重視していることの表れと受け止められたからである。

12月1日、ちょうど日イスラエル首脳会談の行われる時間帯が、“戦闘一時休止”の延長をめぐる瀬戸際と重なった。会談場所はドバイの高級ホテル。報道陣を入れない静かな環境で、岸田総理とヘルツォグ大統領は向かい合った。固く握手を交わしたのち、ヘルツォグ大統領は、笑みを浮かべながら「お会いできて良かった。きょうは沢山お話したいことがある」と切り出した。岸田総理は、戦闘休止が少しでも延長されるよう願いつつ、「ハマスとの合意は状況改善の重要な一歩であり、歓迎する」と強調した。
会談の予定時間は30分。傍らに控える事務方には、事態の悪化を伝える情報が次々と入った。そして、ヘルツォグ大統領からこう告げられた。「ハマス側からロケットが飛んできている。戦闘休止の延長は、難しい」。わずかな可能性の窓が閉ざされたことを、その場の全員が理解した瞬間だった。
日本側が戦闘再開について知ったのは、会談を終えた一行が滞在先のホテルに戻る移動の車内だった。同行者によると、岸田総理は、率直に「残念だ」と漏らしたという。