日系人の苦難と努力に思い 佳子さまの細やかな配慮
佳子さまは訪問前に、ペルーの日系人の歴史について、相当学ばれていたという。今年9月、佳子さまは新型コロナに感染されたが、関係者によると、療養中も熱心に資料を読んだり、式典でのあいさつの準備をされていたという。
1941年、太平洋戦争が勃発するとペルーはアメリカなど連合国側として参戦。その後、ペルーは日本と国交を断絶し、対日感情が一気に悪化した。日本の外交官や在留邦人、あわせて1771人が米国の収容所へ強制移送された。
それでも、戦争が終わると、日本人やその家族はペルー社会に戻り、懸命に努力を重ねて、徐々にぺルー人から信頼を得て受け入れられていった。佳子さまは、現地時間11月3日、外交関係樹立150周年の記念式典に出席し、先人たちの苦労や努力を思って次のように述べられた。
佳子さま
「移住された方々とそのご子孫が、幾多の困難や哀しみを乗り越え、誠実に、勤勉に、お互いに助け合いながら日々を過ごしてこられたことを、そして、ペルー社会の信頼を得ながら、ペルー社会に貢献してこられたことを、これからも心にとどめてまいります」
多くの日系人と面会された佳子さま。車椅子の日系人の方と話す時は、しゃがみ込んで話しかけ、「脚が痛いでしょう」と言われても「いえいえ」と笑顔で会話を続けられた。相手の手をとって話し続けた姿も印象に残っている。
日系人が設立に関わった高齢者施設を訪れた際も、日系人らの手をとって会話し、入居者の一人は「プリンセスは私の手を離さず会話してくれ感激した」と驚いていた。『上を向いて歩こう』の合唱をおくられると、佳子さまはマイクを求め、予定にはなかったあいさつをし、「素敵な歌声を聞かせていただいて、ありがとうございました」と感謝されていた。
相手に対する細やかな配慮は佳子さまの同行中、さまざまな場面で見ることができた。
