100年前のヒグマ事件 被害者の肉声

北海道・沼田町。8月、ある事件の慰霊祭が、初めて行われた。100年前の1923年8月に起きた、石狩沼田幌新事件。1頭のヒグマが人々を襲い、8人が死傷した。
HBC(北海道放送)の通信員・村田峰史。被害者の子孫のひとりだ。当時、何があったかを取材している。

HBC通信員 村田峰史
「あのあたりが最初に襲われた場所」
現場は人家から200メートルほどの地点だった。

深夜、暗闇から大きなヒグマが現れ、祭りから帰る途中だった峰史の親族・與四郎さんらを襲った。與四郎さんと父、同行していた近所の人が重傷を負い、母と弟が死亡した。

体長2メートル、体重340キロ。村田家を襲ったヒグマの毛皮は、今も沼田町の資料館に残されている。
ヒグマはハンターにより駆除されたが、その際にも2人が死亡、1人が重傷を負った。

與四郎さんの息子・孝さん。カセットテープに録音された、與四郎さんの肉声を聞かせてくれた。
與四郎さん(約50年前に録音)
「(ヒグマが)弟を殺してしまって、すぐ母の後ろから(襲った)。(私は)マッチを出して、マッチをすった。そしたらヒグマの顔が見えた。その瞬間にガッと私に襲いかかってきた。

(ヒグマは)母を連れて山に行った。『怖い』『痛い』と(聞こえる)。(ヒグマが母を)引きずっている。山の中腹まで行って、今度は(母を)食いだした。ガリガリという音が聞こえた。そのときまだ母の声が聞こえた。
(私は)出ない声をしぼって、口から吸った息が(裂けた)横の腹から出る。グウグウと(鳴るだけ)。苦しい一方」
與四郎さんの腹の傷も、相当深かったことがうかがえる。

地元の医師は助からないと判断したのか、「死亡した」と記録されていた。
しかし與四郎さんは、札幌の病院に運ばれて、奇跡的に一命を取り留めた。その後、次男の孝さんを含め、6人の子を育てたが、ヒグマに襲われた傷に、晩年まで悩まされていたという。

與四郎さんの次男 村田孝さん
「(父の)傷はしょっちゅう見ているが、ジュクジュク。背骨の一番高いところがうんで、治っては化のうして、治っては化のうして何十年も(過ごした)」
こうしたヒグマによる人への被害は、その後も相次ぐ。