大阪・西成で、生活困窮者を「住まい」に繋ぐ活動を続ける男性。行き場を失った人たちに、時にやさしく、時に厳しく語りかけます。「家さえあれば何とかなる」。貧困の実態と、奮闘の日々を追いました。
“家さえあれば” 居住支援の現場

大阪・西成。日雇い労働者の街として知られる「あいりん地区」の一角に、そのNPOは事務所を構えている。
生活支援機構ALL。住まいを失った人たちに向けた「居住支援」が主な活動だ。

生活支援機構ALL 坂本慎治代表(35)
「そこで死ぬとか言うぐらいだったら、大阪来て人生やり直した方がいいと思いますよ」
代表を務める、坂本慎治さん(35)。不動産業を営む傍ら、10年前にこのNPOを立ち上げた。メールや電話で寄せられる生活困窮者からの相談は、多い時で月に300件。
相談
「コロナの影響で仕事が上手くいかず、生活もできません」
「お金がありません。食べる物がありません」

59歳の男性。気温10度を下回る中、数日間、公園で野宿をしていたという。
男性は、日雇いの建設作業員として働いていた。しかし、新型コロナの影響で工事が相次いでストップ。収入が激減して、家賃を払えなくなり、退居を余儀なくされた。

男性
「豊中の公園で寝ていて、一人、声を掛けてくれたおばちゃんがいたんですけど、『おっちゃん、寒いやろ?』って言うから、『いや、今日初めてなので朝まで頑張ります』って。物乞いするのも無理で、ゴミを漁るのも絶対無理で、今まで生きてきたので。今回だけは助けてください。お願いします」
坂本さん
「分かりました。もう安心してください」
男性
「ありがとうございます。泣いておかしいんですけど、すみません」
坂本さん
「いえいえ。本当につらかったでしょ」
男性
「苦しかったです」
このまま男性が野宿を続ければ、命に関わる。坂本さんは面談を終えると、すぐさま大阪市内のワンルームマンションへと案内した。

急な入居に対応するため、部屋には家具や家電のほか、インスタント食品などを用意している。
支援物資は、寄付と、坂本さん自身の不動産業での収益によって賄われているという。
男性
「あとは正直、残り1600円、1500円ですかね。これで、生き延びられますかね?」
坂本さん
「できるだけ早く生活保護の申請、一緒に行きますので」
これらの部屋は、活動に賛同するマンションのオーナー15人ほどが管理を坂本さんに任せている。相談に来た人が、空き部屋へすぐに入居できる仕組みだ。入居までの「早さ」にこだわるのは、過去の苦い経験があったからだ。

坂本さん
「夜7時に相談に来た人がいて、その時、僕、面談中だったんですよ。『ちょっと今、混んでいるから、今日もう遅いから、明日来てくれるか?』と言って、次の日に来なくて。数日後に警察が来て『この人、来ていましたよね?』となって、『ああ、来てたけど、明日来てと言って来なかったですわ』って言ったら、『神戸港に浮いていました』みたいな。あの時『うわ、しくじった』と思って。『明日また来てね』と言うだけだったら、明日来ないかもしれないし、死んでいるかもしれないんですよね。自殺したいと言って相談来ているのに。だったらまず安心させることですよね。しっかり話を聞いて、住居を確保する」

元々は、大手不動産会社に勤めていた坂本さん。18歳で就職し、3年あまりで関西地区のトップセールスに上り詰めた。家を売る仕事に没頭する日々。転機となったのは、DV被害に遭い、逃げてきた親子との出会いだった。

坂本さん
「3日間、水しか飲んでいないとかいう話で。スタッフが対応していたんですけど、丁寧に帰ってもらおうとしていたんですね。お金も持っていないし、身分証もたしか無かったんですね。それを見て、『あれ、もしかして』と思って。当時、一棟マンションの販売を専門でやっていて、その時に知り合ったオーナーが、空き部屋が多い物件を持っていたんですね。『誰か住む人いないかな?』と相談されていたので『もしかしたら』と思って、『ちょっと待って』って言って」
坂本さんが事情を伝えると、知り合いのマンションオーナーが審査無しで空き部屋への入居を快諾してくれた。母親は生活保護を受けたのちに就職、暮らしを再建することが出来たという。
この経験を機に、坂本さんは不動産会社を退職。2013年に居住支援を専門に行うNPOを設立し、3000人以上の生活困窮者を住まいに繋げてきた。