失意の底にいた母親を救ってくれたのは

我が子を失い、失意のどん底に突き落とされた市原さん。そんな市原さんを救ってくれたのは、同じような境遇に立たされていた犯罪被害者たちとの交流でした。

(犯罪被害者遺族 市原千代子さん)
「同じような問題を抱えていますから、そういうことを語ることは凄い大切」

「自助グループと言ったりするんですけど、何年か先を歩いている被害者の仲間の方たちが少し良くなっている、そういうのを見ることが凄い大切だと感じたし、そういうことを、他の方には理解してもらえないことを、被害者同士だとすぐに理解してもらえることは大きかったと思います」

犯罪被害者のすぐそばに、誰か支えてくれる人がいれば…。

市原さんは、2007年に仲間たちと「犯罪被害者を支援するNPO」を設立しました。

いま辛くても...生き続けることで見えて来るもの

一方で「被害者をこれ以上増やしたくない」との思いから、亡くなった息子と同じ若い世代に命の大切さを訴え、講演して回っているのです。

(犯罪被害者遺族 市原千代子さん)
「皆さん、手を合わせてもらってもいいですか?どうですか、温かくないですか」

「じゃあ右手と左手を握ってもらってもいいですか。こういうふうに、温かかったり、握ったり、握り返したりできること、それが生きていることだと私は思います」

自身の体験を通じて伝え続けているのは、深い絶望や、加害者への怒りではありません。

(犯罪被害者遺族 市原千代子さん)
「生きてさえいれば、きっと少し先には必ずいいこと、嬉しいこと楽しいことがあると思います」

「私は圭司が亡くなった時、どれほど圭司のもとに行ってやりたかったかしれません。でもそれができないまま、23年あまり生きてきました。あれほど辛く悲しかったのに23年生きていれば、やはり、いいこと嬉しいこと楽しいことがありました」

「たとえ死にたくなるようなことがあっても、懸命に生き続けてほしい」市原さんの願いです。

(高校3年生)
「これからは、そのような人の気持ちに気づけたり、寄り添える人になりたいと思った」
(高校2年生)
「加害者にならないことを意識して、自分の行動や発言に責任を持って、これから生活していきたい」