◆「油断するとつい偉そうに書いてしまうもの」
高橋さんの文章は、いつも何か照れがあるんですよ。自分はそんな大した者ではありませんと必ず入れつつ、ものすごく舌鋒鋭い文章を書くことが特徴です。
この記事の最後の方でも、「はい。以上のように油断すると人はつい偉そうに書いてしまうものです」と続けていて。実際のところは「名文家とのほまれ高いデスクの手を経て格段に良くなりました。あまりにうまく直されたのが悔しくて、『反省点』を記した初稿をごく最近まで持っていたほど」と書いておられます。この照れが、この人の面白いところです。
◆「らしさ」という枠を乗り越えて
今朝は連載の「『型』を打ち破る」の下。上を見落としていたので、1週間前の記事を改めて読んでみました。
新聞記者の文章術 「型」を打ち破る 上
常套句に頼らず ドンと思い乗せ
(朝日新聞11月7日西部朝刊)
この記事では、「さあさ寄ってらっしゃい見てらっしゃい、でも先に断っときますが、『文章術』なんてものはない。私には、ない。ごめん。にもかかわらず、呼ばれりゃ飛び出すジャジャジャジャーンということで恥を忍んで」と書くのです。
高橋さんは「多事奏論」という記事をよく書いていて、11日に載った記事では――。
人物評の定番に「器が大きい/小さい」があるが、はて、岸田文雄首相はどっちだろう?……うむ。大小の問題ではもはやないな。器がザル。いくら努力しても効果がない=ザルで水をくむのザル。そう言わザルを得ない。(11月11日、朝日新聞「多事奏論」 首相の任、能わザル 「信を問え」忘れてはいけない)
「そう言わザルを得ない」とカタカナ。非常に大きな批判も受けるんだけど、それでも「批判はスルーよりよほどありがたいです」と、この記事の中でも書いていました。
例えば、「『政治部次長らしい文章を描くべきだ』といった批判は、いまも、どうして飲み下すことができません。肩書や性別など、誰かに勝手にはめられた『らしさ』という枠を踏み越えてはじめて、その人ならではの文章が立ち上がってくると私は思います」なんて、照れの間にすっと書いてある。とても僕には書けないです。たまたま今日の朝刊で見かけたので、「これはすごいな」と思い、紹介しました。
◆神戸金史(かんべ・かねぶみ)
1967年生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件や関東大震災時の朝鮮人虐殺などを取材して、ラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。近著に、その取材過程を詳述した『ドキュメンタリーの現在 九州で足もとを掘る』(共著、石風社)。














