8年ぶりに目にした先生の姿「3歳の親戚の子どもが空爆に」「ガザは死にかけている」
あれから8年。再びガザから来日した別の中学生らに今度は記者として話を聞き、モハメド君たちともいつか再会したい、そう思っていた矢先に起きた今回の戦闘。
日々情報収集を行うなかで、偶然目にしたのが当時、3人を引率していた学校の先生の映像だった。

ガザ南部にいるUNRWA職員
「ガザを助けて下さい。お願いですからガザを助けて。ガザは死にかけて、死にかけているんです」
日本滞在中はいつも元気で明るく、周りを楽しませていたラウィア先生。当時の記憶からは想像できないほど憔悴した姿に最初は誰か分からなかった。
急いでSNSで連絡をとると、「親戚や友人など多くを亡くした。きょうは3歳だった親戚の子どもが空爆にあった。歌うのが大好きな子でした。私たちのためにどうか祈って」と悲痛な叫びが。

そしてラウィア先生のいる避難所には、毎日ガザ地区の北部から多くの人が押し寄せているという。「空爆で建物に押しつぶされた家族や友人を残して、移動中にも数えきれない死を目にし、足から血を流しながら、ようやくたどり着いた人々をどうやって守ればよいのか。避難所は混み合っていて十分なスペースがないうえに、食料も水も毛布も障害者のための物資も、すべてが足りていない」と彼女は訴える。
先生をはじめ、いま多くの市民が避難しているのは、ガザの子どもたちが毎年日本を想い、たこ揚げを行ってきた日本地区のあるハンユニスだ。
同じくハンユニスにいるモハメド君からは「心配してくれてありがとう。きっと神様が守ってくれるから大丈夫」と返ってきたが、食料や電気が限られているなか、いつ空爆があってもおかしくない日々の暮らしを想像すると、彼の抱える不安は計り知れない。
今回の戦闘ではガザだけでなく、ヨルダン川西岸やイスラエル側で、合わせて1万人以上の死者が出ていて、その中には罪のない子どもたちが多く含まれている。
「私たちとは関係のない出来事」として終わらせるのではなく、日本が東日本大震災で大変だった時期、ガザにはその苦しみに思いをはせ、復興を願ってくれていた子どもたちが沢山いることを忘れてはならない。
モハメドくんやラウィア先生をはじめ、ガザの人々が一日も早く平穏な暮らしを手にいれ、笑顔で過ごせる日々が来ることを祈るばかりだ。