突然の病に見舞われる
大会翌月となる2018年12月、池田さんは自宅で倒れ、病院に運ばれた。東京パラリンピックに向けて活動をしてきた矢先のことだった。
紅葉谷昌代さん:
「大分に帰ってきて話したとき、たまに頭が痛いと言っていたのですが、東京パラに向けて海外に行くことも多くて、なかなか病院とかに行けないと話していました。でもまさかでした」
病名は脳腫瘍だった。すでに手術することは困難な状態。ふるさとの大分県佐伯市に戻り、治療を続けるものの、会話もままならなくなっていた。それでも人生をかけて情熱を注いできた車いすマラソンへの思いを失うことはなかった。
紅葉谷昌代さん:
「入院していたときは反応もあまりなくなっていたけど、『車いすマラソンがもうすぐだよ』と話しかけるときちんとうなずくんですよ。そして、フランス語で話しかけると『ウィ』と返事をして、ほんとにフランス語が好きだったんだなと思いました。それで車いすマラソンを見たら奇跡が起きるんじゃないかって」
2019年11月、第39回大会の開会式。両親と看護師に付き添われた池田さんの姿があった。
Can-do 藤田容子さん:
「入院してからは外出するのが難しくなっているとお聞きしていましたが、車いすで数時間だけならと病院から許可をもらったそうです」

すぐに彼女の周りを親交があった選手、ボランティアスタッフが取り囲む。彼女の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
Can-do 藤田容子さん:
「選手たちが彼女の周りに集まって温かい言葉をかけて涙を流しながら励ましている様子はもう胸に迫るものがあり、言葉になりませんでした。裕佳子ちゃんが選手の皆さんへ大きな情熱と深い愛情を注いできた証のような瞬間でした」
そして、その翌年の2020年7月、池田さんは家族に見守られながら静かに息を引き取った。47歳という若さだった。