父親に怯えた子ども時代 母は父と自分を重ね「本当にあの人にそっくり」

もう一人、私たちの取材に応じてくれた女性がいます。亭主関白な家庭で育ったという市川さん(28)です。父親は、市川さんに対して怒鳴ったり、押し入れに閉じ込めるなど、怖い存在だったそうです。

市川さんが中学生になる頃に親は離婚し、市川さんはお母さんと暮らすことに。離婚後は、養育費は支払われ、面会交流も行われました。しかし、一時は生活保護に頼るほどの生活状況だったといいます。そこには、お母さんの強い気持ちがありました。

市川さん
「養育費や慰謝料をもらっていたんですが、母は父の力に頼りたくない1人で頑張らなきゃいけないっていう使命感があって、母の力だけで家族を回そうって頑張ってくれていました」

ーー面会交流で、お父さんとのやり取りはどうでしたか?

「あんまりよくない言葉なんですけど、金づるだと思ってました。「何が欲しい?何でも買ってあげるよ?」という父に気持ち悪さと、でも、もう取れるだけ取っちゃおうといった感じで。父におねだりをして買ってもらう時間という風に自分を納得させて、面会交流をしていました」

ーーお父さんに、会いたくない、とは言えなかったんですか?

「言うのが怖かったんですよね。言って怒られたらどうしよう怒鳴られたらどうしよう、果ては殴られたらどうしようって

ーーお父さんとの関係は離れても変えられなかったんですね。

母の父に対する悪口を聞いていたっていうのが影響受けていたって部分はあると思いますね。それがなかったらもう少し、面会交流とかで会う父に対する拒否感とか、そういうのはもうちょっと穏やかだったかもしれないですね」

ーー離婚後のお母さんとの関係は?

「母と言い争いになると、『その言い方本当にあの人にそっくり』とか『そんなに嫌なら、あの人のところに出て行け』と、感情にまかせて母が言ってくることがありました。やっぱり子どもなので見捨てられたくないので『ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい』と。もうどんどんどんどん共依存の関係になっていったなと思います」

ーーお父さん、お母さん以外に相談する場があったらなと感じますか?

「欲しかったけど、どうすればいいかよくわからなかったです。誰にすればいいのかわからないし、相談しづらい内容でもあるので。ですので、苦しいっていう気持ちを抱えたまま、子ども生活を送る人が多いんじゃないかなって思います」

ーー何が違ったらよかったのでしょうか。親に対して伝えたいことはありますか?

もう少し話を聞いて欲しかったって思います。親の前では、自分を出すというのが出来なかった。日々の積み重ねだと思うんですけど、対等のコミュニケーションを取るっていう努力をして欲しかったなと思います」
10月29日配信『SHARE』より