圧倒的な強さを見せ続けるプロ野球阪神タイガース。チームを率いる岡田彰布監督は去年秋の就任会見で、「ずっと『アレ』しか僕は言ってなかったんで。シーズン終わるころには楽しみにしてもらったら僕はいいと思います」と話していました。 その発言からチームの2023年のスローガンも「A.R.E」(Aim:目標 Respect:敬う気持ち Empower:パワーアップ)となりました。そんな岡田監督のヒストリーを振り返ります。実は幼少の頃からタイガースファンだったのです。

エースで4番「いずれプロでサインを頼まれるほどの選手になる」

岡田監督が生まれ育ったのは大阪の「玉造」です。1957年(昭和32年)生まれ、昭和30年代の玉造は、木造住宅がまばらに建つ、大阪らしい下町でした。 自営業の父は、根っからの虎ファンで、年俸の低い2軍選手に食事をもてなすなど気配りの人でした。岡田さんはお父さんと一緒に、よく甲子園球場に出かけていたそうです。 大阪の北陽高校に進んだ岡田少年、当時はエースで4番、キャプテンでした。高校生の頃、たった1球だけ頼まれて書いたというサインボールがあります。もらった人によると岡田少年は、「いずれプロでサインを頼まれるほどの選手になる」と話していたそうです。18歳で未来の自分を描いていたんです。

早稲田大学時代は、今も破られていない、通算打率3割7分9厘、81打点というリーグ記録を叩き出しドラフトの目玉に。当時最多の6球団から1位指名を受けますが、抽選の結果、自身も希望していた阪神タイガースに入団しました。 (阪神タイガース入団会見時 岡田彰布さん)「早くプロの水に慣れて、とにかく自分の力を最大限に発揮したいと思います」  その頃に岡田さんが作ったものがありました。タイガースからドラフト指名を受けたときに、お世話になった人に配った「プロ入り記念時計」。文字板は学生服姿の岡田さんです。周囲に気配りを忘れないのは、父から受け継いだ教えです。