◆突出した「文学性」

この頃、谷村新司さんとさだまさしさんの2人は突出していて、文学性の高い表現で、かつポピュラリティを獲得したという印象が僕にはあります。その2人が「いい日旅立ち」と「秋桜」をそれぞれ山口百恵さんという器に提供したというのが、のちに山口百恵さんの神格化につながっていったと思うんです。

例えば今、桑田佳祐さんも歌詞の中に文語調の言葉を取り入れたりしますよね。あれって僕からすると、桑田さんよりも前に谷村新司がいた、というイメージがあります。それこそ代表曲の「昴」の歌い出しは、“目を閉じて何も見えず、悲しくて目を開ければ、荒野に向かう道より、他に見えるものはなし”。

本当に格調高いんですが、この歌詞は石川啄木の「悲しき玩具」の“眼め閉とづれど、心にうかぶ何もなし。さびしくも、また、眼をあけるかな”との類似点をよく指摘されています。実際に谷村さんも「啄木は学生時代から好きでした」と言っています。

そういった、言葉を咀嚼して自分の表現にして世に出すという、再構築とかエディトリアルとか、ポストモダンと言われるような考え方、発想法ですね。それが谷村さんには身についていたのかなと思いますし、インプットとなる教養が豊かだからこそあれだけの表現も続けられたのかなという気がします。

◆J-POPの普遍の要素をすべて備える

僕は谷村さんと直接じっくりとお話したのは1990年代の1回限りですが、それからずいぶん時間が経って、2012年に谷村さんと僕で1曲ずつ坂本冬美さんに提供してダブルリードシングルを作ったことあるんです。今考えると、過分なオファーをいただいたんですが、そのとき谷村さんが書き下ろしたのが「人時」という曲です。

この曲を聴くと、「いい日旅立ち」を作った谷村さんにその面影を求めて、いろんな曲のオーダーがずっと続いていたんだということがよくわかります。この曲でモチーフになっているのは、「旅立ち」や「駅」、あとは「家族」とか「人と人との絆」。

およそ我々がJ-POPに時代を超えて求める不変の要素を谷村さんは若いときから全て備えていて、それにちゃんと時代ごとの微調整を加えながら、需要に応えてきたのだと思います。

そんな中でもやはり「いい日旅立ち」以降の代表曲といえば、彼が40代のときに加山雄三さんと一緒につくった「サライ」でしょう。

◆枯淡の境地を見せてほしかった

彼の74歳という生涯は、早熟とか、老成したとか言われたアーティストの人生としては、やっぱりちょっと短い。もっともっと長く歌って、枯れてゆく感じを我々にかっこよく見せてくれると嬉しかったなと思います。

枯淡の境地、という古い言葉がありますが、そういうものをこれから見せてくれるだろうと思っていたので、本当に残念で仕方がないです。それでも、よく言われることですが、曲は残ります。芸術は永遠ですから。

彼はたくさん曲を出していて、四季折々の曲があるので、例えば今の季節なら「秋止符」。秋が終わるときに曲の終わりにかけて寄せた、思いの終焉を描いた曲ですね。その時々に合う曲をたくさん残しているので、これから僕も折に触れて谷村さんの曲を聴きたいと思います。本当に音楽史の傑物でした。