コメ自由化の“外圧”

作りたくとも「減反政策には逆らえない」…。

1990年代に入ったころの新潟県のコメの生産量は70万トン台で、毎年北海道と
首位を争う状況でした。
こうした中で1986年にスタートした『関税と貿易の一般協定・GATT(ガット)』のウルグアイラウンドで、日本の農産物市場のさらなる“開放”、とりわけコメ輸入の自由化が求められたのです。

新潟の稲作農家はこれに猛反発しました。

結局、日本は最低輸入量(ミニマムアクセス)を受け入れることでコメの輸入自由化問題を決着させます。現在では、関税さえ払えば個人でも海外からコメを輸入できるようになっています。