

これは、1972年横井さんの発見を伝える新聞、そして隣にあるのは、横井さん発見後に当時の厚生省が現地で撒いたチラシです。「日本国民や家族は諸士の無事帰国を一日千秋の思いで待っています」と締められ、横井さんのようにジャングルで潜伏している可能性がある日本兵に対して呼びかけたものでした。
安部さんによると、これらが1985年ごろにグアム島最北端のリティディアン岬の洞窟から発見されたというのです。

そして、同時に洞窟内からは、手作りとみられる草履も見つかったといいます。横井さん発見後もグアム島では潜伏を続けていた残留日本兵がいたのだろうか…
私は翌日、グアム島最北端のリティディアン岬に向かいました。グアム島の北部には、アンダーセン空軍基地などアメリカ軍の施設が並び、沖縄・普天間基地の移設先となる「キャンプ・ブラズ」の建設も進んでいました。
日本が移設費用を負担するためか、日本のゼネコンもこの建設に携わっているようでした。軍事施設が並ぶ地域を越え、最北端のリティディアン岬に到着。
しかし、5月に襲来したスーパー台風“Mawar”による甚大な被害で、岬の洞窟まではいくことができず…果たして横井さん発見後も、グアム島で潜伏していた日本兵は本当にいたのか…
その事実は確認されていませんが、北部では、日本兵のような人物の目撃情報などと合わせて「“第2の横井”の話ね…」と噂レベルで語り継がれていたそうです。
果たして真実は…戦後78年、まだ終わっていない戦争があるのかもしれません。 (CBCテレビ 営業部 竹田章悟)

元記者の竹田の見てきたグアム。日本兵は横井さん帰国後にもいたのだろうか?
横井さんがジャングルに潜伏したのは28年間。竹田元記者に取材してもらったのは彼が28歳の時。彼の人生の長さまるごとの潜伏生活。竹田が驚愕の顔を私に見せながら取材していたことが懐かしい。その後、妻の美保子さんも天国に召され、私たちの心にもぽっかり穴が開いたような気分に。コロナの時代のかなわなかった海外取材。遅ればせながら完遂であります。