震災と原発事故から11年あまりが過ぎました。この11年という時間を改めて考えてみますと、子どもが成人になる年月でもあります。あの頃、子どもだった彼や彼女たちは、いま何を思うのか。


シリーズ「それから~若者たちの震災~」。今回のテーマは「語り部」です。様々な課題を抱える中、今回は福島県いわき市の震災伝承に注目します。

いわきで語り部活動を担う「語り部の会」は、15人が所属していますが、20代以下の語り部はいません。その現状を取材しました。


いわき市南西部に位置し、県内有数の海水浴場がある薄磯地区。かつては800人近くの人が住んでいましたが、東日本大震災の津波で多くの家屋が飲み込まれ100人以上の人が亡くなりました。

ここでは、いわき市を中心としたいわき語り部の会という15人の語り部が活動しています。


いわき語り部の会・大谷慶一会長「記憶のない話を私は語り部として、その十数分間に起きた出来事を話しています」

会長の大谷慶一さん。津波から逃げていた十数分の間の記憶がありません。一方で、忘れられないこともあります。

大谷会長「私は振り返りざまに、おばあちゃんの手を引く妻に『ばっぱ(おばあちゃん)の手離せ!』と叫んでいました。私はその時に、おばあちゃん目を見ているんです。あの時のおばあちゃんの目の色、これを忘れることができないんですよ」

活動を始めてから10年。いわき語り部の会は県内外の人に当時のありのままの記憶を話してきました。


語り部の会で最も若い、小野陽洋さん(31)。小野さんは20歳の時に隣接する豊間地区で被災し、逃げる時間もなく自宅で津波におそわれました。

小野陽洋さん「あきらかにスピードの速い水だったので、もうこれは逃げられない。床上浸水は予想したけど、2階までは来ないでくれという不安と期待を抱きながら津波が来るのを見ていました」

小野さんが語り部になったきっかけは、3年前に県内を襲った台風19号でした。自分と同じように判断が遅れ、逃げられなかった人たちを見て、これ以上犠牲者を出したくないと思ったのがきっかけだったといいます。


小野さん「語り部になって、その町を詳しく知ってもしもの時にいち早く逃げるためにはどうすればいいだろうと、常日頃考えるようになりました」