青森県の歴史を紹介するシリーズ、ふるさと歴史館。青森市出身の板画家・棟方志功の生涯を紹介します。3回目は世界のムナカタになるまでの歩みです。
志功は青年時代、オランダの画家ゴッホを目指していましたが、板画の制作を始めると青森で培ったある力をいかし独自の作風を生み出しました。


鼻を板に擦りつけそうなほどの姿勢で彫刻刀を動かす青森市出身の板画家・棟方志功。板の命を彫り起こすという思いから「板画(はんが)」は“板”という字を使って表現し、独創的な輝きを放つ名作を生み出します。

棟方志功
「板と刃物の大きい闘いであると思い仕事をしてきた。それも命がけ、ボディーがけ。身体自体を板木になすりつけて、なすりつけたところのあり様を仕事にする」


明治後期1903年に生まれ、青森市の長島尋常小学校へ通った志功。幼いころから好きだったのは絵を描くことで目標はオランダの画家・ゴッホのようになることでした。暇さえあれば青森市内の合浦公園へ足を伸ばし、スケッチをしたといいます。園内の草花や木々をくり返し描きながら将来への夢を膨らませました。

青森市・合浦公園


棟方志功
「合浦公園の筋向かいにポプラがありますね。あそこもいいところでしたね。あそこで寝転んでポプラを眺めて寝転んで『あの高いところまで人間としていきたいな』と思ったことがあります」

画家として修業するために21歳で上京。展覧会へ油絵の出品を続けましたがなかなか結果を残せずにいました。