遺体や遺品、機体の残骸は北海道の沿岸に漂着

 撃墜から1週間ほどが経つと、大韓航空機の破片や乗客の荷物が北海道の沿岸に漂着するようになりました。当時の映像は垂直尾翼、シート、救命胴衣、靴、サンダル、カバンなど、墜落の痕跡を伝えています。そして、乗客と思われる遺体を見つけたという、地元住民の証言もありました。遺体は激しく傷み、そこに鳥が集まり、正視できる状態ではなかったと言います。

海岸を捜索する警察官(1983年9月・稚内市)

漂着した垂直尾翼の一部 登録番号「HL7442」の文字の一部が確認できる(1983年9月)
事故機の垂直尾翼(丸印が漂着した部分)

回収された遺品は札幌で家族へ「遺体だけでも返してほしい」

 遺品や機体の残骸の漂着は、稚内市から斜里町までのオホーツク海沿岸、400キロもの広範囲に及びました。回収された遺品は359点。これらはソビエトから引き渡された18点とともに、撃墜から1か月後、北海道庁別館(札幌市)で乗客家族向けに公開されました。  

 北海道沿岸で見つかった遺品は、引きちぎられたり、焼け焦げるなど、生々しい傷跡があったのに対し、ソビエトから引き渡された遺品は傷のないきれいなものばかりでした。
 「非常に作為的なものを感じる」
 「ソ連のほうには、たくさんの遺品と遺体が上がっているんじゃないか」
 「もしソ連の人に心があって、人間の血が流れているのだとしたら、遺体だけでも返してほしい」
 遺品を前に家族たちは、こう取材に答えていました。
 そして公開された遺品で持ち主が特定されたものは、ほんのわずかでした。

遺品の公開は、半年間行われたが持ち主が特定されたのはわずか(1983年10月・札幌市)
理由ははっきりしないが靴やサンダルの遺品が多かった(1983年10月・札幌市)