「道端で焼いていたのが一番悲しかった」 忘れられない78年前の光景
語ることのできる人が少なくなっている戦争証言です。きょう(30日)は岡山市北区表町で20歳の時に岡山空襲に遭った98歳の女性による証言です。あのとき目にした光景、感じたこと、食べたもの…78年前の記憶を辿り語ってくれました。
(小笠原トシ子さん(98))「人間が人間らしくなくなるもんね。皆さん、なにも考えずにただ逃げたと思うよ」

岡山市中区に住む小笠原トシ子さん98歳です。岡山空襲を経験したのは20歳のとき。実家の理髪店を手伝いながら表町で暮らしていました。

(小笠原トシ子さん(98))「B29がキラキラ光っているのが見える」

8年前の6月29日未明、アメリカ軍の爆撃機による空襲で当時の市街地の63%が焼失。家は焼けたものの小笠原さんとその家族は逃げ出して無事でしたが、少なくとも1737人が亡くなりました。
(小笠原トシ子さん(98))「はやく火のないところに逃げなきゃというそれだけ」「消火したら帰れるくらいの軽い気持ちでいたから布団も蚊帳もたたんで逃げたけれど、あんなに全部燃えるとは思わなかった」
空襲のあと目にした光景は想像しえなかったものでした。

(小笠原トシ子さん(98))「一番悲しかったのは、火傷がいっぱいで亡くなった人を運ばなければいけないから、道端で焼いていたのが一番悲しかった。人間ってこんなふうになるんだって…」