その後も紀美栄さんは、嬉しそうに父からの手紙の内容を話してくれました。
紀美栄さんの弟が生まれたときには、こんな手紙が届いたそうです。

【川上紀美栄さん(84)】
「『男の子が生まれた』と手紙を出したら、『男の子が生まれたんだってな、天皇陛下もさぞお喜びだろう』と書いてあるんですよ。そのときにね。弟に対して負けてはだめだけれども、いじめてもだめだって書いてあるんですね」

また現地の様子を伝えようと、写真付きの手紙もありました。紀美栄さんは「小さい写真は、上官が写した写真をもらって貼って送ってくれた」と教えてくれました。

79年前の7月、125通目で途絶えた手紙

しかし、およそ2年に及んだ父・政治さんからの手紙は、1944年7月10日で途絶えることになります。
125通目となった“最後の手紙”には、何かを悟ったのかこんな言葉が書いてありました。

【父・政治さんからの手紙】
「当分便りをしないからね。近所の皆様によろしく申し伝えてください。次に貯金通帳番号を知らせますから、承知願います」

戦地に行く前に仕事をして貯めていたお金を家族に託しました。
その9日後、父・政治さんは中国の湖南省で戦死。紀美栄さんが4歳のときでした。

「いろいろなことで話をしたかったし、聞いておきたいことがあったんでしょうね」

―どういったことを聞きたい、話したい?
「くだらないことでしょうね。くだらないことだけど、それでもその中からも親子の対話があるでしょうね」