ロシア人の母親を持つ ライマさんの苦悩
一方、半世紀にわたって旧ソ連に併合されていたリトアニアには、今も多くのロシア系住民が暮らしています。

ラジオ局で音楽番組を担当する、ライマ・スレプコワイテさん(40歳)。
父親はリトアニア人、母親はロシア人です。
母親のバレンティナさん(67歳)は、ライマさんの5才年上の姉を産んだあと、リトアニアに移り住みました。

ライマさん
「私は1982年、ソ連最後の時代にあったリトアニアで生まれました。ですから、幼少期から10代にかけては、母親やロシアの伝統とのつながりを強く感じていました。
家ではテレビをつけるとロシア語しか映らないという、ロシアに囲まれた生活をしていました。学校もロシア系の学校に通っていました。私はリトアニア語の名前でしたが、姉はロシアで生まれて、リリヤというロシア人にとって普通の名前を付けられました。だから、姉がうらやましかったです」
しかし、ライマさんのロシアに対する意識は、リトアニアの友たち、そして音楽や文学に触れていくなかで少しずつ変わっていきます。
ライマさん
「中学の時にリトアニア系の学校に転校して、リトアニアの影響を受けるようになりました。リトアニアの街や自然が好きになり、友達もできていきました。そうやって世界観の違いを理解するようになればなるほど、母親との距離を感じるようになりました」
ロシアとリトアニアの間で揺れ動くライマさん。
そんな彼女の意識を変えた“最後の決め手”は、2008年の南オセチア紛争でした。
ロシアが隣国の「ジョージア」で起きた武力衝突を受け、ロシアが侵攻した紛争で、一般市民を含め多くの犠牲者が出ました。
ライマさん
「私はそれまではロシア人の言うこと、家で教えられてきた話を信じていたのですが、もう信用しなくなりました。平和な町に戦車を送り込み、市民に銃を向けることがいいことなのか。明らかに暴力ですよね。私はそれがとても非人間的で残忍な行為だと気づいたのです。
ロシアのことを無条件に信じていた時は、“大きな善のために、時には悪いことをしなければならない”という考えがありましたが、その時目が覚めたのです」

しかし、母親のバレンティナさんの意識が変わることはありませんでした。
バレンティナさんはリトアニアに移り住んだ後、工場で働くなどして、リトアニアに友人もできました。しかし40年以上経った今も、ロシアを支持しています。
リトアニアにいても、ロシアにいる親戚などから入手した、ロシア側の情報ばかりを信じているというのです。
ライマさん
「去年のウクライナ侵攻が始まった直後に交わしたのが最も恐ろしい会話でした。
『ウクライナ人は、ロシアからの攻撃と見せかけるために、軍事目標でないものを自分たちで攻撃した。ウクライナ人は十分に殺されていない』
そう言ったのです。どうしてそんなことが言えるのでしょうか。私にとって本当に衝撃的な出来事でした。
私は若く、成長過程にあり、好奇心が旺盛な人間でした。多くの人に出会い、尊敬し、そして多くの人を信じました。でも、母親は違います。今のようなひどい情報操作のもとでは、こうしたことはあり得ることなのです」

親子でありながら、埋まらない心の溝にライマさんは苦しんでいます。
ライマさん
「誤解しないでほしいのですが、母はとてもいい人なんです。私たちをとても助けてくれるし、孫のこともとてもかわいがってくれます。私は母が大好きです。
でも考えてみてください。あなたに善悪を教える人が、暴力を正当化するのです。それはつらいことです。根本的なところで意見が一致しないのですから。それが、私たちが生きてきた間に続いている現実です」
歴史の中で繰り返されてきた、ロシアによる侵攻。
リトアニアの人たちは、ウクライナが戦争に打ち勝つことで、未来を変えたいと考えています。