伯父が沖縄戦で戦死したことを知ったその年から、定期的に沖縄を訪れている男性がいます。今回、沖縄で洞窟の専門家と初めてガマを訪れることになりました。どんな思いで沖縄に心を寄せ、またガマに入ることで感じたこととは?遺族の男性の思いを取材しました。
沖縄戦で戦死した伯父 初めて見た母の涙
「(礎の名前を指さし)ここですよ」
Q名前を見てどうですか?
「これしかないわけですよ」
村上明男さん(67)。平和の礎に刻まれているのは、村上さんの伯父の名前です。
村上明男さん
「生きた証として平和の礎に刻んで頂いていると」

母親の4つ上の兄で愛媛県出身の元日本兵だった知良さんが、沖縄戦で戦死したことを知ったのは2005年。村上さんは、その年に初めて母親と平和の礎を訪れました。
村上明男さん
「伯父に会ったことはないけど、母親にとって父親とは別の意味で大事な人だったはず」
その時、母がおもむろに出したのが、初めて見る伯父の写真。普段見せない母親の涙に、村上さんは心を打たれたといいます。
村上明男さん
「戦争がなかったり、知良が戦死しなかったら、全く違った人生があった。私が生まれて無かったかもしれない。バラバラと埋もれている資料をひとまとめにするというのが、私の使命かもしれないと思っている」
遺品や遺骨が残っていない、伯父の足跡を辿りたい。

村上さんはこれまで、時間を見つけては県内外の資料館などに赴き、手がかりを集めてきました。村上さんの伯父のいた部隊の名簿には、糸満市真壁で戦死したとだけ記されています。
村上明男さん
「戦死地かどうか分からないけど、石ころとそこに生えていた野生の菊みたいなものを持って帰って」
伯父のいた部隊が、八重瀬町を中心に陣地を構築したことを記した資料も自力で見つけ出しました。
「道は戦時中も同じような道ですよね?」
「だいたいは似ていますからね。大きさが違うくらいのもので」
さらに、八重瀬町を調べていくなかで、ある人との出会いがありました。