「できるの?」から始まった一人暮らし

取材で出会った映画監督に、重度の知的障害者であっても、長時間ヘルパーが付き添い、家事や移動支援などを含めて一括で介護する「重度訪問介護制度」を利用して、街中のアパートで暮らしている人たちがいると紹介されたのです。

「目からうろこ。アパート暮らし、うちの息子が?できるの?と思った」(剛志さん)

大規模な入所施設だからこそ、最後まで面倒を見てくれる。一矢さん本人もやまゆり園での暮らしを気に入っている。剛志さんは、そう考えてきました。

でも、アパートでの暮らしの方が一矢さんにとって幸せなのかもしれない。
実際に生き生きと暮らしている人たちを目の当たりにして、剛志さんは、自分の考えを変えたのです。

「ぜひやらせてください。もう挑戦しますって。でも、最終的に決めるのは一矢です。一矢が嫌だって言ったらしょうがない」

そして出会ったのが、介護士の大坪寧樹(やすき)さん(55)です。

大坪さんは、事件が起きる前、加害の激しい知的障害者の介護が思うようにいかず、挫折をしていました。

そんな時に事件が起こり、介護施設の職員をしていた植松死刑囚がこのような罪を犯したことに大きなショックを受け、自分はこれからも介護士としてやっていけるのか、とさらに自信を失います。

それでも、事業所が一矢さんの担当を任せたかったのは、大坪さんでした。

大坪さんは不安でしたが、一矢さんに初めて会った日に、覚悟が決まったと言います。

その日、一矢さんは、自分のメロンを「大坪さんに」と口に運んでくれたのでした。
緊張していた大坪さんはその振る舞いに救われ、思わず涙があふれたと言います。

「やっぱりもう1回頑張らなきゃって。事件で深い傷を負っても一人暮らしを決意して、ご両親と一緒に迎え入れてくれた。これに応えないと、私が今までやってきたことの意味がなくなってしまう、と」

一矢さんは大坪さんや家族と共に、徐々に施設の外へ出ていく準備を始めました。

(後編)思わず「できるの?」と。やまゆり園事件被害者が始めた一人暮らし...死刑囚の主張に示した「答え」とは