植松死刑囚への答えとは

今、一矢さんは、剛志さんとチキ子さんと週に1回ビデオ通話をしているほか、月に1回ほどご飯を食べに実家を訪ねています。

剛志さんは、いつも、一矢さんの大好きなアイスをたくさん用意して待っています。

「一矢が俺たちと話したいんだって言うのもわかるようになってきたし、一矢がアイスを持ってくるじゃないですか。それで、その持ってきたアイスは、前は全部自分のものなのね。でも今は、人様にあげるんですちゃんと。やっぱいろんな人と交流する中で、そういう気持ちが芽生えたんだと」(剛志さん)

「この前、一矢が『お父さんのこと大好き』って言ってた」と、チキ子さんは嬉しそうに話します。

アパート暮らしが始まった3年前、剛志さんは、「重い障害のある一矢が、多くの人に支えられながら、幸せに生活する姿を見て欲しい。それが、植松死刑囚の主張に対する自分たち家族の答えだ」と、話していました。

それは、今も変わらないと言います。

「『障害者なんていらない』『心失者』って言ったけど、うちの息子は我々としたら心失者でも何でもないよって。ちゃんと意思を持って、言葉は少ないかもしれないけど、意思疎通もできるし、普通の生活もできるんだよって」

「それをあなたが障害者はいらないとか、そういうふうに考えること自体間違ってるんですよってことを伝えてあげたいですよね。ただ、植松死刑囚には伝えられないかもしれないけど、これからもし彼のような人が出てきたら困るから、植松死刑囚に共鳴するような人たちに伝えられるようにしたいですよね」

そして、剛志さんは、一矢さんのことを発信するだけではなく、国や行政に働きかけ、制度を向上させたいと話します。

「今幸せ。でも幸せでいいのかなって。僕らは運よくこうなっているけど、同じようにやりたくてもできない人もいるし、重度の人にとっては施設があることも重要。障害のある人たちが、生きる喜びができたっていうふうになると嬉しい」

事件後、立て替えられた津久井やまゆり園。

一矢さんは、現場となった園に近づくとパニックになり、20年以上を過ごした場所に再び行くことはなくなっていました。

事件から7年となる7月26日、剛志さんは、毎年献花に訪れているやまゆり園に、自立して幸せに暮らす一矢さんを連れて行きたいと考えています。

「25年暮らしたところだからね、1回ちゃんと見せたい。こんな風に変わったんだよって。19人の仏様に手を合わせてね」

取材が終わるころ、私たちに「また来る?」と笑顔で聞いてくれる一矢さん。
今日も、小さな喜びを感じて暮らしています。

取材・執筆:TBSスパークル ドラマ映画部 福田浩子
(過去取材分はこちら:「小さな喜びを感じて ~津久井やまゆり園事件・被害者家族の4年~」JNNドキュメンタリー ザ・フォーカス

この記事は、TBS NEWS DIGによるLINE NEWS向け特別企画です。