仙台空襲知っている?「どこかで聞いたことある」

1945年7月10日未明、仙台上空に襲来したのはアメリカ軍の「B29」123機。大小合わせ24万発以上の焼夷弾を投下し、1399人が犠牲となりました。

焼失面積は500ヘクタールに上り、仙台駅の西側、中心市街地が焼け野原となりました。

小学5年生の児童:
「家とか全部なくなっている」Q仙台駅の近くだよ「え!嘘だあ」

戦災復興記念館では、空襲の被害を今に伝え、小学校の平和学習などで利用されています。

小学5年生の児童:
「(Q 仙台空襲は知っていますか)どこかで聞いたことある、もし自分たちがそういう被害に遭った時にどうすれば良いのか、備えておかないといけない」

教材の映像を視聴することもできますが、古いものは30年以上前に制作されたものです。

仙台市戦災復興記念館 阿部康彦館長:
「今までの過去につくった映像も古くなってきているので、現在の子どもたちに、また伝わるようなものができればいいなと期待している」