◆攻撃されたのは私だけではないはず
これが、あの悪名高い「部落地名総鑑」なのかどうか、私にはわかりません(そもそも、見たことがない)。とにかく、これを見られないようにしなければ。私はいったん、川口さんの記事をシェアした投稿を「非公開」に変更し、彼らが投稿したコメントをスクリーンショットに撮って保存しました。そして、二人が私のフェイスブックに二度と投稿できないようブロックした上で、公開に戻しました。フェイスブックの友人たちから、たくさんの怒りのコメントが寄せられてきました。
・未だにこんな差別の現状があるとは…。心の底から軽蔑します。
・久しぶりのコメントをさせて頂きます。悲しいですね。他人を卑下しなければ自分を出せないなんて。同じ人間上も下も無いと思うのですが…
・同和問題が未だにこんな形で、個人情報まで流出させる権利は何人足りとも許せません!
私はMたちの行為をフェイスブック社(現・メタ)に通報し、一刻も早く対処するよう求めました。
川口さんが意を決して書いたネット記事に心を大きく揺さぶられたのは、私だけではないでしょう。私のように川口さんに共感した人間を、Mたちは検索して見つけ出していたのだと思われます。
◆「相手と自分の間に“線”を引く」
Mたちによるこの非道な行動は、2017年9月12日のことです。私は東京に単身赴任中で、当時ちょうど「やまゆり園事件」を取材してラジオドキュメンタリーを制作しようと動き始めたばかりの時でした。
2016年7月に神奈川県相模原市の「津久井やまゆり園」で起きた、障害者殺傷事件は、障害者を息子に持つ私にとって、大きな衝撃でした。重度の障害者は「生きている価値がない」と、やまゆり園の元職員・植松聖死刑囚(事件当時26歳)は供述しました。

私はただ事件を追うだけではなく、今の日本社会を俯瞰的に見てみたいと思っていました。自分と相手の間に「一線」を引き、線の向こう側の人々の尊厳を認めない。そんな言動が社会に広がっていると感じていたからです。やまゆり園事件の植松聖死刑囚、ヘイトスピーチを繰り広げる自称愛国者、性的マイノリティに対する自民党・杉田水脈議員の一連の言動などです。これら「一線を引く」言動に、私は共通する「不寛容」があるように感じていました。
そして、Mたちの一連の差別行為も、同じ水脈に連なっているように思えてなりませんでした。
◆番組には盛り込めなかった
このラジオドキュメンタリーの中で、Mの非道を取り上げるべきか。部落解放同盟の中央本部を訪ね、お話をおうかがいしました。全国水平社が誕生して100年近くが経とうとしているのに、ネット社会の進展により以前には考えられなかった深刻な状況が起きていることに、解放同盟の人たちも動揺を隠せない状態でした。
解放同盟がMたちに対して出版やネット公開の差し止めを求める裁判を起こしている、と説明を受けました。Mたちの行動による影響はあまりに大きく、1時間番組のひとつのエピソードとしてわずか数分で扱うことは無理だ、と私は思いました。
私はこのあと、TBSラジオの鳥山穣プロデューサーとともに、植松聖死刑囚と面会して、『SCRATCH 線を引く人たち』(2017年12月放送)を共同制作しました(「SCRATCH」とは、「地面にガリガリと線を引く」という意味があります)。
私は植松聖死刑囚とその後も面会を重ね、2作目の共同制作ラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』(2019年、放送文化基金賞最優秀賞)と、テレビドキュメンタリー『イントレランスの時代』(2020年、文化庁芸術祭優秀賞など)を制作しました。

しかし、被差別部落のネット公開という極めて重大な人権侵害を番組内で取り上げられなかったことは、私の中に“しこり”として残っていました。