授与式の場が故郷ではなかった理由
石山さんは、小学校を強制退学になった後、療養所に入るまでの4年間、自宅の納屋で隠れるように暮らしました。当時、らい病と呼ばれたハンセン病の患者は、見つかると療養所に強制的に入れられる「無らい県運動」という政策が、感染力が弱く、治るようになっていたにも関わらず、国策として進められた時代です。
今回、授与式が行われたのは、石山さんの故郷ではない静岡市内。ここで行われたのは、「ハンセン病への偏見や差別はいまだになくなっていない。故郷にいる親族がそういう目にさらされることがないとはいえない」と、石山さん自身が、地元以外の場所で行うことを希望したのです。
川崎市在住のハンセン病回復者 石山春平さん
「義務教育の小学校、中学校で中退、追い出されるというのは、よほど悪いことか何かしなければ、まずありえないですよ。普通に考えれば。しかし、ハンセン病っていう病気の重さを、国が先頭に立って、そばに行ったら、すぐうつると実際以上に宣伝していた。そう言われれば、みんな怖くて寄ってこなかったんです」
卒業証書授与は、喜ばしいニュースですが、「ハンセン病問題」はまだ解決したとはいえない現状があるのです。
式に先立って、卒業証書授与を働きかけた友人の伊東郁乃さんがこれまでの経緯を説明しました。伊東さんは「卒業証書の授与で、抹消されていた在籍記録も卒業生台帳に記され、石山さんの名誉回復として明るく報道されれば、きっと将来は、ご親族も、得体のしれないご不安から解放されていくと信じております」と説明を結びました。
(担当:TBSラジオ 崎山敏也)














