川崎市在住のハンセン病回復者、石山春平さん(87)が、75年を経て、小学校の卒業証書を6月1日、受け取りました。今回はその様子を取材しました。

なぜ卒業証書を受け取っていないのか?

石山さんは現在の静岡県御前崎市出身。12歳でハンセン病と診断され、私立の療養所「神山復生病院」に入りました。入所後数年でハンセン病は治り、32歳で療養所を出て、社会復帰しました。らい予防法が廃止され、隔離政策を違憲とした、国に対する訴訟の判決が出た後は、全国各地で、自らの体験を実名で語り続けていています。

川崎市在住の石山春平さん

なぜ、小学校の卒業証書を受け取っていないのか。小学6年の夏休みに、ハンセン病の診断が出て、診断書を学校に提出しました。2学期の初日、石山さんが学校に行くと、担任から「いますぐ学校から帰れ。お前は汚い病気だ。明日から学校に来るな」と言われて追い出されたまま、学校に通うことはなかったのです。地元、御前崎市の教育委員会に在籍記録も残っていませんでした。友人の一人で、ハンセン病問題を伝える活動などをしている、伊東郁乃さんが、そのことを去年、石山さんが静岡市内で行った講演で知り、市や県に働きかけました。当時の同級生らの証言で、在学したことも裏付けられ、正式な卒業証書が授与されることになったのです。

友人の働きかけで実現した75年後の卒業証書

6月1日、静岡市内にある、県総合社会福祉会館の会議室で、御前崎市の小学校の校長が卒業証書を読み上げ、石山さんに手渡しました。地元の他、各地から駆けつけた、小学校の同級生、親族、友人らが参列し、一緒に祝いました。

その中に、石山さんが去年、台東区立石浜小学校の5年生の授業で話をした時の担当だった、山本薫先生がいました。授業を受けた生徒たちは、22年度の1年間、ハンセン病問題を学んだ成果を石山さんに手紙で報告し、石山さんからは丁寧な返事があったということです。

山本薫先生
「6年生の時に、学校に来るなって言われた。自分たちがもしそうだったら、もう耐えられないと、生徒たちはすごく心を打たれています。インターネットだったり、書籍でも、調べたら出てくる情報はあるんですけど、そうではない生の声を聞いて、ずっと調べていって、僕たちが伝えていかなきゃいけないっていう風に、去年1年間学習することができました。今回、この式には、元気な姿を見てきてほしいし、写真も動画もいっぱい撮ってきて、と頼まれて、私は代表として来ました」

「感無量」卒業証書を受け取って

小学校の同級生も駆けつけた

石山さんは、療養所の職員だった女性と結婚、子供が3人います。手足に後遺症はありますが、努力して、運転免許を取り、障害者の外出を助ける、ガイドヘルパーとして長く働きました。
授与式が終わった直後、石山さんはこう話していました。

川崎市在住のハンセン病回復者 石山春平さん
「感無量です。私には卒業証書というのは、後にも先にも、自動車学校でもらった一通ぐらいしかないんです。だから、正式な学校の卒業証書というのはあきらめていました。発行していただける、ということを聞いて、改めてまた人生やり直すのはもう年齢的に無理ですけど、残り少ない人生を、悔いのない日々を送りたいと思っております」