■私設博物館に託した「家の歴史」

いわき市の温泉旅館で「原子力災害考証館」を運営する里見喜生さん。


10日後、邦彦さんは、再び家へ向かいました。同行したのは、いわき市で「原子力災害考証館」を運営している里見喜生さんです。家に残されたものを里見さんに譲り、考証館に展示してほしいと考えています。

向かったのは家の一番奥、書院造の床の間です。2人は一つの額に注目しました。

家が建ったときからあったとみられる古い額。


里見さん「何と書いてあるんですか?」

邦彦さん「これは右から読んで『柳陰読書』柳の陰で書を読むという意味なんですけど……」

この家が建ったときから、あったとみられる古い額最上級の客をもてなしてきた床の間で、長い間、掲げられてきました。掛け軸やかつての大臣からもらった書、明治期の写真など、家とともに、地域の歴史ともいえる物品の一つ一つが、この日、里見さんのもとに渡りました。

今野家の広間。冠婚葬祭が執り行われ100人以上が集まったこともある。

赤宇木を含む浪江町の旧津島村では、1.6パーセントが特定復興再生拠点に指定され、避難指示解除を目指しています。今回の解体・除染はこの拠点にアクセスする幹線道路沿い20メートルが対象で「際(きわ)除染」とも呼ばれています。避難指示の解除には直接関係しません。解体された後、政府は敷地の周りに、柵を建てる予定ですが、邦彦さんは疑問を感じています。

今野家の屋根。家紋が残っている。

邦彦さん「帰還困難区域が解除されるのは、この道路まで。こっちから先は帰還困難区域のまま。柵はただ単純に帰還困難区域と解除されたところの目印のためだけなんですよね。ましてや住宅がなくなった後もそうだと言うんだから、住民のためではないのは明白ですよ