1969年にオープンした阪急三番街。多くの人が利用する駅直結の商業エリアとして婦人服の店や飲食店が並び、その後もフードコートができるなどリニューアルを重ねてきました。
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 (阪急電鉄 嶋田泰夫社長)
 「ずっと周りの開発が進んできて、最後に残っている比較的古めのビルなので、ここをきちんと形にすることが『梅田ビジョン』を形にしていくためにとても大事なことだと思っております」

 今後、大阪・関西万博の開催やIR構想の実現などを見据え、梅田を海外からも大きな注目を集める“国際交流拠点”と位置づけ、オフィスビルや大学の研究施設などの誘致のほか、移動しやすくするため、周辺施設と阪急側を空中デッキで連結する構想についても検討したいとしました。

 (阪急電鉄 嶋田泰夫社長)
 「(新型コロナウイルスの影響で)環境が変わった以上に、我々がそこに適応していかないと生き残れないので。腹をくくって我々は今から変わっていく」