演歌や歌謡曲のイントロ部分で、歌を盛り上げるため司会者が絶妙な語り口で曲紹介する「前口上」。七五調で歌の情緒を並べ、歌い手にバトンを渡す。こうした歌謡ショーの舞台には昭和の時代から名司会者が存在した。

西寄ひがし49歳。今となっては数少ない司会者の一人。18歳のときに上京、音響スタッフから司会者に転身した彼は軽快なトークと明るい性格で数多くのステージに立ち、大物歌手から指名される売れっ子となる。数奇な出会いを積み重ね、「現代の名司会者」と呼ばれる西寄ひがしの人生に迫った。

■「毎日が楽しくてしょうがなかった」18歳で音響会社に就職

「森進一さんの付き人をやっていた時に、放送局やレコード会社の関係者を呼んで忘年会をやったんです。そこで僕が幹事をして司会の真似事をしたわけですよ。その帰りの車の中で森さんから『来年のツアーで司会やんない』と言われたんです。それが司会を始めたきっかけです」

森進一、水森かおり、鳥羽一郎…数々の大物歌手とステージをともにしてきた西寄ひがし。去年、無期限の活動休止を発表した氷川きよしの専属司会も21年間務めてきた。

「司会者は歌手を応援しているファンの代弁者なんです。その人の魅力を語ったり、時には歌手が言いづらいことも代弁したりすることもある。衣装替えの場つなぎや、歌手とのトークも繰り広げる。それにプラスしてイントロ部分で歌の情緒を語り、ステージを盛り上げる前口上をする。これが歌謡ショーで行う司会の主な要素ですね」

大分県中津市で生まれた西寄は小さい時からとにかく歌番組が好きだったという。小学生時代は歌手を目指していて地元の祭りで歌を披露するなど地域の中で知られる存在に。ところが次第に自分の歌のレベルではプロになるのは無理だと自覚。それでも音楽業界に携わろうと中高校生の時には音響会社にバイトとして出入りするようになる。

「中高6年間は大分のいろんなイベントに携わりました。それが僕にとって部活動みたいなもんですよ。当時、歌番組のザ・ベストテンで別府港にあった客船オリアナ号からの中継も行きました。やっぱり音楽業界にかかわりたくて、将来技術でやっていこうと決めました」

高校を卒業後の18歳で上京、経験も豊富で即戦力となることから大手の音響会社に就職が決まる。

「コンサートツアーやテレビの歌番組をたくさん手がけていた会社なんですよ。レコード大賞もやっていました。憧れのレコード大賞の現場に自分が携わることができて、それはもう感激で毎日が楽しくてしょうがなかったです」