両親が不登校の自分を認めてくれた

そんな中、この教育支援センターで野中さんは、学生スタッフとして働く不登校経験者に出会います。その人物が、後に「ゆとりある」を立ち上げ理事長を務める久下沼諒さんです。現在28歳の久下沼さんは小学3年生から不登校となりましたが、親御さんはどのように接していたのか聞きました。

NPO法人「ゆとりある」理事長 久下沼諒さん
「まず、私の両親がすごく私自身のことを認めてくれたんですね。何々しろとか、するなとか、あんまり言われたことがなくて、認めてくれたので、その中で割と好きなことをして生きてました。特にスポーツ観戦とかが大好きなので、サッカー見に行ったり、野球を見に行ったり、結構全国を回ったりする趣味があるので、鉄道に乗ってどこかに行くとか、中学校の頃からわりと自由にさせてもらってたので、そういう自分の好きなことをさせてもらってたっていうのはすごく大きな経験です」

久下沼さんは、小・中と不登校。通信制高校を卒業したのが20歳目前と、決して順風満帆ではありませんが、親も含め、色んな人が手助けてくれた、その経験から自分も不登校の子を支援したいという夢を見つけ、その夢を形にしたのが2020年発足の「ゆとりある」です。

「娘が不登校でもいいんだ」親が変わり、子供も変わった

不登校児の親・野中さんは久下沼さんに「ゆとりある」の活動に誘われ、今に至ります。野中さんは、久下沼さんが高校卒業後も通信制大学で学び、こうしてNPO法人を立ち上げたこと。また身近にも「実は不登校だった」という社会人がいたことを知り、「不登校でも、大人になったら何とかなる」と思えるようになります。

NPO法人「ゆとりある」理事 野中弘子さん
「今までうちの子は駄目だ、不登校だから駄目だって思ってたのが、不登校でいいんだ、うちの子で大丈夫なんだって思えるようになったときから、うちの子もいろいろ自分でできるようになってきて、将来こういう仕事に就きたいから、じゃあ今、中学生の自分はこういう勉強をしたらいいっていう見通しを自分で持てるようになったのはすごいなと思って。だから、親の私が変わったら子供も自然に変わるんだなっていうのは、実感として、とてもとても感じています。」

野中さんの長女が就きたい仕事とは、ヘアメイクアップアーティストです。学校に行っていない時間、小学1年生の頃から自分やお母さんの顔にメイクして、メイクが大好きに。今では、メイクが学べる通信制の高校か、不登校経験などがある子供向けの、都立の「チャレンジスクール」を受けてみようかなと前向きな様子です。こうした変化の背景には、小中学校の代わりに通い続けている教育支援センターや、在籍校の特別支援教室で、自己理解を深め、気持ちのコントロールの仕方を学んだことも大きいと野中さんは感じています。

そんな野中さんは今、娘と同じく不登校の子供達と、ゆとりあるが運営する居場所「いまごこち」で一緒に遊んだり、親などが集まって情報交換する「茶話会」を開くなど支援活動も精力的に行っています。なお、ゆとりあるは現在、安定的な活動のためクラウドファンディングを実施中です。

(TBSラジオ「人権TODAY」担当:中村友美)