初代当主の長男、なぜ米子に出店?
大森さんは京都府出身。2人の弟がいたそうです。
米子で第一旭を経営していた 大森髙男さん
「子どもの頃は、いつも弟2人と自分たちの着る服は自分たちで洗濯をしていました。洗濯の際には隣に住んでいるおばあちゃんから『汚れもの持って来い。うちで洗濯してちゃんとしてやるから』と言われ、そんな助けも借りながら生活していました」
しかし大森さんは10代の頃に家出を決意します。あてもなく汽車に乗り、偶然たどり着いたのが、縁もゆかりもない鳥取県米子市でした。

米子で第一旭を経営していた 大森髙男さん
「とにかく汽車に乗って降りたのが米子でした。そこで生活の場所を作ることにしました」
身寄りもない米子の地でしたが、ここで人の温もりに触れ、米子に住む決意をしたと言います。養子に入り、名字も変わりました。

大森さんは市内で鮮魚店や生協での仕事を経験。その後、仕事を辞めると、1970年頃に現在の鳥取大学医学部の近くに「第一旭」を開業しました。
実はその際、創業者である父が内緒でラーメン修業をしてくれたそうです。父親は米子に大森さんを訪ねて来ることもあったそうです。

大森髙男さん
「ラーメン作りは極秘で親父から教わりました。(家出について)親父なりに『すまんかった』ということがあったのかもしれませんが、小遣いを置いて帰るというのがありました。あの頃に20万~30万とかあったと思います。当時は高卒で月給7000円~8000円でしたから」














