「お父さん、お母さん。大切に育ててくれてありがとう。18歳の時に大きな事故に遭いましたけれども、二人のおかげで社会に復帰でき、このような晴れ姿を披露することができました」(結婚式にて)

大破した先頭車両の中に閉じ込められた、当時18歳の大学生。きょう4月25日は事故から18年、事故前と事故後と同じ年数が経ちました。山下亮輔さん(36)。生死の境をさまよいながら懸命に生き抜いた18年間を、MBS「よんチャンTV」の取材に応えました。

あの日、山下さんは脱線したJR福知山線の一両目に乗車していました。車両はマンションに直撃して地下に埋もれ、絶望視された一両目から18時間後に救出されました。当時、医師は「クラッシュ症候群を放っておけば命に関わる」と両脚の切断を考えたといいます。

18歳で事故に遭った山下亮輔さん

10か月にわたる入院、治療は一進一退。40℃を超える熱が40日間続いて再度、両脚切断の可能性を告げられたこともありました。その間、山下さんの母親は一日も欠かさず病院に泊り込みました。

母親「頑張れっていうのもつらいし、代わってあげることもできない」

 退院し成人した山下さんは、「誰かのためになりたい」と、伊丹市役所で働いています。いまも両脚に麻痺があり杖は手放せません。5年前から通う病院では、3回の手術を経験しました。

 1人で生きていくことも覚悟してきましたが、ある女性との人生の出会いがありました。福祉の仕事で一緒になった奈央さんです。「こんな自分に自然体で接してくれる」と交際を経て、事故から18年を前に結婚が決まりました。

式のエスコートは、長期間看病を続けてくれた山下さんの母親が務めました。「こんなことができると思ってなかった、あの時は。しんどかったのは本人やけど、それを見てるのも辛かった」(母、顔を覆って泣く)

山下さん「今、こうしてここに立って、笑顔でいられるのも皆さまのおかげです。僕のゆっくりの歩くペースに合わせてくださってありがとうございます」(結婚式にて)