安倍元首相が5月9日、大分での講演で「日銀は政府の子会社なので、60年で国債の満期が来ても返さないで借り換えて構わない。心配する必要はない」と発言しました。最大派閥の領袖で今も政権に大きな影響力を持つ安倍氏の発言だけに、政府や与党の幹部も忖度して批判を避けていますが、先進国のリーダーとして、かなり恥ずかしい発言でしょう。どの先進国でも、中央銀行には通貨の番人としての独立性が認められており、欧米でリーダーが、表立って、中央銀行を子会社呼ばわりすれば、社会的信用を失いかねません。

日銀は政府が過半出資しているから「子会社」と言えるとか、親会社による子会社からの借金が認められるのかとか、「子会社」の定義の問題は、この際、脇に置きましょう。より大きな問題は、安倍氏の子会社発言が、「国債の半分を日銀が買って、まわっている」「満期が来ても借り換えればよい」という文脈で出てきたことです。つまり、「国債は最終的には日銀が買えばいいのでいくら発行しても『心配いらない』し、借り換えによってずっと返さなくて良いので『心配いらない』」と言っているのです。「子会社」という言葉には、日銀には選択権はないというニュアンスがありありで、中央銀行による国債の強制引き受けの容認にさえ、受け取れます。それを言っちゃあ、おしまいでしょう。

国のリーダーが、ハイパーインフレや戦時国債など、かつて経済を破綻に導いた歴史的教訓から目を背け、財政規律も返済も考えなくてよいと公言するようになってしまえば、日本国債への信頼、ひいては円の信認を、自ら脅かすようなものです。安倍氏は長年の政治生活の中で、財務省流の財政再建論に、ほとほと嫌気がさしているのでしょう。昔からオオカミ少年のように、「赤字が増えるといつか国債危機が来る」と不安を煽られてきたものの、国債発行残高がGDPを超えた時も、さらにGDPの2倍を超えても、一度も危機など来なかったではないか、と。確かに、これまではそうでした。

しかし、こればかりは「時と場合」によるのです。今は、コロナ禍で先進国が揃って財政拡大をしているので、日本だけが国債発行を増やしているわけではありません。また、これまでの日本は経常黒字国で、外国からの資金流入をあてにしなくて良いという立場だったからこそ、問題視されなかったのです。結局のところ、その国の国債のリスクをどう見るかは、相対的なものなので、「時と場合」、つまり、まわりの環境が変われば、見方は一変するリスクがあることを私たちは認識しておく必要があります。金融市場は、「一変」のスキをついてくるもので、その時に、国債残高を急に変えることなどできません。

安倍政権によるアベノミクスは、少なくともデフレではない状況までは作り出し、雇用を最大化させたという功績がありました。その一方で、中心命題だった、2%の物価目標は実現できず、成長と賃上げの好循環も夢に終わりました。今、資源高騰と円安によるコストアップで2%の物価上昇が目の前に来たにもかかわらず、誰にも幸福感はありません。物価上昇率2%を政策目標にした「議論の立て方」の有効性が、改めて問われているのです。安倍氏が首相在任時に任命した黒田総裁の任期が来年切れるのを前に、「手詰まり感満載」の日銀は、否応なく政策点検を迫られます。「日銀子会社発言」は、アベノミクスというレガシーを傷つけられたくない安倍元首相の「苛立ち」と「けん制」を端的に示したものと言えそうです。

播摩 卓士(BS-TBS「Bizスクエア」メインキャスター)