以前は地方都市にもビッグネームが降臨?
こうしたライブやコンサートの開催地を見ると、ドームやアリーナのある大都市に集中していることが分かります。大人数を収容できる施設があり「お客さん」が多く住むエリアでの開催は「呼ぶ側」「やる側」双方にとって効率が良いビジネスです。一方で地方都市の音楽ファンはビックネームのコンサートのたびに、東京や大阪などへ足を運ぶのが当たり前になっています。

しかし、以前は世界的なミュージシャンや伝説的なバンドが地方都市、静岡でもコンサートを開いていたのです。特に、静岡市葵区にあったアリーナ「駿府会館」ではそうそうたる面々が演奏を披露していました。
48年前にはクラプトンが!

「ビーチボーイズでしょ、ベイ・シティ・ローラーズも来たな。マイルス・デイビスやクインシー・ジョーンズも来たし、あとは誰だっけ」
静岡市内で映像制作会社を経営する山田三郎さん(77)は自分がラジオディレクターだった45年ほど前は、数々の大物アーチストのコンサートを静岡で楽しめた時期だったと話します。
「1978年に初来日し、駿府会館でコンサートを開いたELOのステージでは当時は珍しかったレーザー光線の演出がすごかったのを覚えてる。会場の駿府会館は体育館だから本来は音響はよくないんだけど、大音量で演奏するとかえってエレキギターの音がクリアーに聞こえたりしたな」と振り返ります。
中でも記憶に強く残っているのは75年10月29日のエリック・クラプトン。すでに“超売れっ子”だった若きクラプトンのコンサートです。チケットも当時で5,500円から7,000円ぐらいと、とびきり高かったそうです。「大ヒット曲『レイラ』のモデルになった彼女のパティ・ボイドもツアーに帯同していたからか、終始リラックスしての演奏が印象に残っているよ」。山田さんは伝説の夜を思い返してくれました。
クラプトンのギターに魅せられて
「次はアレ、行こうか」。慣れた様子でメンバーに目配せするとギターを弾き始めたのは山田満男さん(73)。現在も静岡市内で音楽演奏を楽しんでいます。ミュージシャンを目指して上京。数多くのライブハウスで腕を磨いてきました。ビートルズのスタンダードナンバーが始まると、熟練の“リバプールサウンド”が響きます。
こちらの山田さんもあの夜、駿府会館でクラプトンに魅せられた1人でした。「東京時代、バンド仲間とのライブが深夜に終わると下宿でトランプをやるのが恒例でね。一番負けが込んだ奴が月末に気になっているレコードを買って、みんなで聞くのがルール。ある日、負けた仲間が持ってきたのが『クリーム』のアルバムだったんだけど、針を落とした瞬間、こんなギターの音が出せるクラプトンって奴は誰なんだって、すぐにクラプトンのファンになったよ」
『クリーム』は活動3年間で解散しましたが、その後クラプトンは世界中のロックーシーンをリードするアーチストへと変貌を遂げていきます。
『レイラ』が始まった瞬間…

「ある日、バンド仲間が『クラプトン、来るぞ』って。ホームページなんかない時代だからチケット取るのには音楽関係のネットワークと、フットワークが欠かせなかったんだよ」
静岡に戻った山田さんを訪れた憧れのギタリストの地元公演。幸運にもステージから数列前というベストな席が手に入ったそうです。
「振り返ると会場は満員。ギターは何だろう。どの曲をやってくれるのかなとワクワクしているとステージがふっと明るくなって。クラプトンが『レイラ』のイントロを始めると、いままで大人しかった会場が沸き上がって、歓声と一緒に後ろの連中がどどーって前まで押し寄せてね。そこからずっとぎゅうぎゅう詰めだよ」と会場の熱気を振り返ります。
11曲構成の当時のセットリストを見ると、インストルメンタル曲が目立ちます。「クラプトンの一枚看板で独り立ちしてすぐだったからまだ、自分がメインボーカルの曲が少なかったんだ」
ギタリストの山田さんのお目当てはジミ・ヘンドリックスの名曲をカバーした『Little Wing』。「YouTubeなんてないからさ、当時はこうやって弾いているんじゃないかなって想像しかできなくて。演奏中は彼の手元をじっと見てたね」。夢のようなコンサートは2時間弱で終了したということです。
ちなみに御年78歳のエリック・クラプトン。4月15日から6日間、武道館でのコンサートが予定されています。
超緊張!スティービーワンダーの前で演奏も

静岡市内の人気ライブハウスで連日演奏をしていた山田さん。こんなエピソードも披露してくれました。ある日、山田さんはバンドのベーシストから「スティービーワンダーが駿府会館に来ているから仕事に遅れる」と伝えられます。「ベーシストが『いやーよかったよ!』と言いながら戻ってきて、普段通りに演奏をしていると、店に屈強な外国人6人くらいが入ってきてさ。その後ろからスティービーワンダー本人が登場だよ。びっくりしたよ」。その夜は終始緊張しながらの演奏だったそうです。
しかし、なぜ、静岡市にこれほど多くの大物が訪れていたのでしょう。「その気になれば、何人でも入れられるアリーナ形式の駿府会館、タレントは新幹線駅があって移動が楽、そして当時、外国人アーチスト招聘に熱心だった地元プロモーターがいたからじゃないかな」。耐震基準の問題で駿府会館が閉館し、代わりに座席数が固定された文化会館が開館した頃から、静岡市での大物コンサート開催回数が減った気がすると山田さんは説明します。
地方の音楽文化の担い手育てる一手は

静岡市内のライブハウスなどでは、コロナで減った客足が徐々に回復しているそうですが、それよりも大きな心配があるんだと山田さんは話します。「止められたって若いヤツは音楽をやると当たり前に思っていて、実際、自分はここまで来たけど、振り返ったら次の世代が付いて来ていなくて」。
アマチュアバンドが減り、静岡市内では生演奏を聞かせる店の閉店が続いています。
「デジタルであらゆる音を1人で出せる時代だけど、複数であれこれやっていくのも創作活動でしょ。聞き方だって、大勢で同時に生の音を体に受けるのが、音楽のよさだと思うんだよ。いまの若い人も『生音』に触れれば、きっと感性が震えるはず、体験ができるはず」と語る山田さん。地元でも名演奏が聞ける機会を取り戻さなければ地方の音楽文化が廃れる一方だと、警鐘を鳴らしています。