ゲーム機から聞こえる翔大さんの声

ゲーム機から
「レインボークラブの看板は本当はベランダだったんですけど、ベランダが下に落ちてます。これは自動販売機です。自分ん家の前に置いていた自動販売機ですが、2つ倒れてしまっています」

遠くに住む人たちにも地震の恐ろしさを知って欲しい-
自宅や町の様子を撮影し、記録に残そうとしました。

田上さん
「学校からもここら辺が1番工事している区域なんで、あんまり危険なところなのであんまり通らないようにっていうふうに」
永岡アナ
「でも本当に家の周りだから、ちょっとさびしい気持ちも?」
田上さん
「そうですね」

あれから7年。近所の様子も変わりました。崩れた住宅のあとは、新しい家や店が建ったり、さら地になったりしています。翔大さん家族もアパート暮らしを経て、5年前に同じ益城町に家を建てました。
父親の雅一さんは家計を支えるだけでなく、自分の会社の立て直しに全力を注いできました。玄関マットの貸し出しや清掃を行う会社を、地震後におじから引き継ぎました。しかし、自宅と兼用だった会社の建物も地震でつぶれていました。

田上雅一さん
「この先どうなるんだろうって。やっぱり同業者の方たちがいち早くそういうふうに支援して頂いたおかげでですね、やっぱりなんとかここまで来られたかなっていうのはありますね。やっぱり社員のため家族のためですね」

地震後3年ほどで売り上げを回復させましたが、次に襲ったのがコロナ禍と物価高です。飲食店との取引も多く、大きな打撃を受けました。

田上雅一さん
「そのときに地震で、かなり借り入れしましたね。簡単じゃないですね。やっぱり地震がなければっていう思いも本当はあるんですよね。なければここまでは苦労しなかったかな~っていうのもあるし。まあそれは、言ってはいけないことかもしれないですけどね」