【3:ニュースネットワークを組む放送局ゆえの判断の難しさ】
テレビ各局は東京のキー局を中心に系列化されており、ニュースにおいてもネットワークを組み取材、情報、報道内容を共有している。一方でそれぞれが独立した企業であり、報道機関でもある。そんな状況において、同一系列内で相当程度の妥当な判断をし、結論を積み重ねていくことが求められている。報道のいわば「判例」として積み上げていき一定の判断基準に収斂させていくことができるのか問われている。社や系列のカラーにもよるが、この点は新聞社以上に放送局は難しい面があるのではなかろうか。

以上の3点に追加するならばWEBでの配信記事の問題がある。多くの人がスマホを通してニュースに触れていて、報道の主戦場となりつつある媒体においてどう伝えていくのか。インターネットの特性を鑑みながら「実名報道」や「顔写真」の取り扱いをどうするかは毎回悩ましい判断になると思う。

「実名」を「当たり前」にはしているけれど…

私たちは毎日のように事件で被疑者が逮捕され、原則的に警察の発表に基づき実名を報じている。被害者についても同様に当局の発表や取材に基づいて実名で伝えることを基本としている。特に被害者の実名報道に対しては昨今、取材現場や視聴者から実名で報じる必要はあるのか?との疑問が呈されることもしばしばある。その際、凄惨な事件、事故に巻き込まれ悲運にも命を落とした方を匿名のAさんと報じてしまうと、その事件・事故の実相が伝わりにくく、再発防止など社会への教訓が共有できなくなるのではないかと考え、その旨をお伝えしていることが多い。もっと簡単に言えばそのニュース、情報に触れても匿名では視聴者にとって他人事に感じられてしまうのではないかと思っている。基本的には実名を含め具体的な事実をできるだけ盛り込み、真実に迫ること、それが国民の知る権利に答えることになると考えているし、ひいては事件・事故の記憶の風化を防ぐことにつながるのではと信じてもいる。