「寝屋川事件」に見る特定少年事件での今後の課題

今後も特定少年の事件において難しい判断を迫られることとなる。ここで寝屋川事件において感じた課題を大きく3つあげておきたい。
【1:検察とメディアが考える「重大事件」のギャップ】
最高検察庁は、裁判員裁判の対象事件など「犯罪が重大で地域社会に与える影響も深刻な事案」を実名発表の対象にするという基本的な考え方を示している。各地方の検察もこの方針と改正少年法に則り粛々と実名発表していく流れにある。大阪地検は寝屋川事件を重大な犯罪だとして実名発表したわけである。一方で、私たちメディアが社会に広く報道し共有すべきだと考える公益性、公共性、社会規範、価値観という観点からみた「重大性」はどうだろうか。ごくシンプルに言うと社会的関心事としての事件・事故のいわば重みという意味での「重大事件」とはおのずと検察当局との間にギャップが生じる場合があると感じる。いままでほとんどの報道機関が少年法の主旨を尊重し61条を守ってきた。今後、特定少年の事件に直面するたびに「果たしてこの事件を重大事件として実名報道に踏み切ってよいのか?」という問題にぶつかることになると思う。
【2:「実名」OR「匿名」を決定する上での判断材料の乏しさ】
『特定少年を『実名』で語る・司法担当記者の目線』の記事で清水貴太記者が書いているように少年事件に詳しい専門家の弁護士も指摘しているが、少年法は改正されたが少年審判の公開性は変わっていない。司法制度の一環としてメディアに判断の責を負わすならば少年審判の秘匿性についても考慮すべき余地があるのではないか。特定少年に更生可能性や要保護性を含め具体的に酌むべき事情はないのか、得られる限りの情報は得て判断したいと感じた。今回、家裁が逆送を決めた決定要旨に19歳の少年が内省を深めつつあることや、幼少期からの養育環境の影響を指摘する部分はあったものの、具体的にどの程度のものなのか肌感覚としてはとらえにくく、可能な範囲での少年の性格・人格面での情報も欲しかったとは感じた。取材は尽くすのだが限界もある。これら特定少年についての情報が少なければ少ないほど報道機関側の判断材料として警察や検察の出す捜査情報を基にした犯罪内容や罪の大きさという尺度が比重として大きくなる可能性をはらんでいる。