進学校として知られる石川県立金沢泉丘高校。
前身の金沢第一中学校時代には、校舎を移転した歴史がありました。
この際に学校のシンボル「厳霜碑」を生徒たち自らが荷車に乗せて、引越し作業を行ったというのです。
この行列の様子を詳細に再現したジオラマがこのほど完成し13日、学校に寄贈されました。
兵藤遥陽アナウンサー
「観光名所、金沢21世紀美術館に近い道路脇に立つ3本の木。交通の妨げにもなりそうですが、どうしてこの木が残されているか疑問に思われる方もいるのではないでしょうか。実はこの木、金沢第一中学校の敷地内にあったもので、同窓生にとっては当時の面影を偲ぶ大事な木なのです。」
金沢市本多町にあった金沢第一中学校は、今の金沢歌劇座、県福祉会館、一帯に建っていました。
当時も今も学校のシンボルとなっているのが「厳霜碑」です。

「厳霜碑」は、日露戦争で戦没した33人の卒業生を顕彰するため建立されました。
そして86年前の1937年4月13日、本多町から新校舎が建てられた現在の泉野出町に「厳霜碑」も移されたのです。
本多町から犀川大橋を経て現校舎まで、大勢の生徒たちが綱を引っ張りながら荷車に乗せた「厳霜碑」を大切に運ぶ様子が当時の映像にも記録されています。


この移転の様子をジオラマで再現したのが、卒業生の山本武生さんです。
ジオラマの大きさは、縦1メートル、横1.5メートル。

荷車に乗せた「厳霜碑」を制服、制帽、ゲートル巻の男子生徒が綱を引っ張りながら運ぶ姿をリアルに再現しました。生徒は、針金を芯にして粘土で一つずつ形作ったといいます。
金沢泉丘高校16期卒業生山本武生さん
「先人の偉業だと思って卒業生の一人としてたたえてあげたい。後輩にもそれを認識していただければ幸いかなと思っている」
金沢泉丘高校では13日、このジオラマの寄贈式が行われ、山本さんから久保出将司副校長に目録が渡されました。
ジオラマには年々薄れゆく母校の歴史について、現役の生徒たちにもその原点を忘れないでほしいという山本さんの思いが込められています。
金沢泉丘高校久保出将司副校長
「生徒にはこのジオラマを見て泉丘の歴史の一コマに思いを馳せ、泉丘の精神、伝統を引き継いでいって欲しい」
ジオラマで再現された「厳霜碑」の移転行列は金沢泉丘高校の生徒が毎年8月に行っている「一泉行列」のルーツになっています。
今年が学校創立130周年を迎えたことを記念して寄贈されたジオラマ。
「行列の様子」と「金沢一中の校舎」の2点は、生徒たちが日常的に目に触れることができる「生徒ホール」に飾られるということです。
