1977年の冬、東京品川駅前の電話ボックス内に1本のコーラが置かれていました。それを飲んだ高校生が死亡。このコーラこそが世間を震撼させた無差別殺人事件の始まりだったのです。

(アーカイブマネジメント部 疋田智)

電話ボックスを使う人はほとんどいない今

現在の品川駅前、同じ場所に電話ボックスが存在します。携帯電話の普及で今では使う人も少ない緑のカード式電話です。
77年のそれは、長距離用に100円硬貨が使える黄色いもの。これでも当時としては新型の電話ボックスでした。その一角にコーラの瓶が置いてあったのです。

ケータイの普及で使う人は減ったものの、現在も同じ場所に電話ボックスがある

第一の事件は、東京・港区で起きました。16歳の男子高校生がアルバイト先の宿舎にあったコーラを飲んで死亡したのです。このコーラは国鉄・品川駅前の電話ボックスから同僚が持ち帰ったものだといいます。王冠がピッタリとはめ込まれており、一見未開封に見えたそうです。
男子高校生は飲むなりこう言いました。「このコーラ、腐ってる」。
すぐに吐きだし水で口をすすぎましたが意識不明の重体に陥り、病院で救命処置が行われたものの死亡しました。
死因は青酸中毒でした。

警察はただちに現場の聞き込みを行った

すぐ近くで起きた第二・第三の事件

事件はすぐに新聞テレビなどで報じられましたが、翌日の午前8時すぎ、当該の電話ボックスからほど近い道端で、46歳の作業員が倒れているのが発見されました。
病院に運ばれたものの死亡が確認され、死因は青酸中毒であると特定されました。男性が倒れていた場所のすぐ近くからはコーラ瓶が発見され、そこから青酸反応が検出されました。これが第二の事件です。

第三の現場もすぐ近くでした。
警察が周囲を捜索すると、今度は最初の事件から南東に600メートルほど離れた商店の赤電話の下から青酸コーラが発見されたのです。

「コーラは赤電話の下のここに置いてありました」

じつはそのコーラ、商店の息子(当時15歳)が用事で出かける前に見かけていて「後で飲もう」と思っていたそうです。自宅商店の軒先にあったコーラですから無理もありません。しかし後で考えると、危機一髪でした。