青酸の入手先は?

事件は新聞テレビなどで大々的に報道されました。
警察は総勢65名の専従捜査員をつけ、現場付近のローラー作戦を行うと同時に、青酸の入手先などを捜査しました。
青酸化合物を扱うメッキ工場などの洗い出し、またコーラのふたのナンバーから製造元を割り出し、犯人の特定を急ぎました。

しかし今とは違って毒物の扱いも厳重ではなく、捜査は難航したといいます。当時のフィルムを見てみても、メッキ工場の青酸化合物管理は「厳格な管理」とはほど遠い状態でした。

事件の全国波及と公訴時効

最初の事件から40日経った2月13日のことです。今度の事件現場は大阪でした。
39歳の会社員男性が、近所の酒屋の公衆電話付近に置かれたコーラを飲んだところ、突然意識不明に陥り、病院に運ばれました。回復はしましたが男性が飲んだコーラの瓶からはやはり青酸反応が検出されました。
さらに翌日のバレンタインデー。東京駅の八重洲地下街や、神田駅で青酸入りのチョコレートが発見されます。
これらの事件は、同一犯であると特定されたわけではありませんが、新聞テレビに雑誌も加わり、犯人の意図や、残された手がかりなどについて盛んに書き立てました。
しかし……。

捜査は犯人におよばず、事件は数多くの謎と社会不安を多く残したまま、1992年に公訴時効が成立。迷宮入り事件となったのです。

事件の影響と不安

この事件は社会に大きな影響と不安を与えました。
この事件以降、自動販売機の飲料は、一度あけたら元に戻せないプルトップ式の缶が主流になりました。
また学校教育でも「拾ったものはたとえ栓がしてあっても飲んだり食べたりしてはいけない」ということが盛んに教えられるようになりました。

あれから40年以上、今では電話ボックスを使う人自体がほぼいない。

しかし、85年には同様の事件(パラコート連続毒殺事件)で12人が死亡するなど模倣犯罪と思われる事件も起きています(これも迷宮入り)。
また動機のない無差別殺人事件も、この事件以降じわじわ増えるなど、社会に大きな不安の種を植えた事件が、この青酸コーラ連続殺人事件といえるのかもしれません。