「明日死んでもいいように」がん闘病、沖縄の芸人としてどう生きるべきか…
2015年。喉頭がんを患った。
『絶賛副作用中』
『まだまだ副作用中』
『こんなところで横になってる場合じゃない、早く復帰してやる』
(闘病日記より)
闘病は否が応でも「死」を意識させた。
“まーちゃん”
「明日死んでもいいように、っていう思いがさらに強くなったのはありますね。じゃ、今何する、今この瞬間何を描く、という思いが強まりましたね」

その背中を押したのは、病室に持ち込んだ一冊の本。そこには、喜劇王チャップリンがヒトラーを題材に映画「独裁者」をいかに制作したかが綴られていた。沖縄の芸人としてどう生きるべきか、答えを得た思いだった。
“まーちゃん”
「チャップリンは、ヒトラーの人間的な部分を描いてるんですね。独裁者の滑稽さ、孤独感みたいなもの。人間としてとらえた時、どうしたって悪ですよ、独裁者は。悪魔だけど人間という視点で見るとおかしさが見えて来たんです。チャップリンはどこかで悪魔のような人間を人間として描いてるところがある。それがコメディたるゆえんかな」
がんを克服すると、より人間の愚かさを描くようになっていく。被爆国日本で起きた、核武装や核シェアリングの議論も、個人の生活に引き戻して表現してみた。一人暮らしの部屋を探す男性が不動産会社を訪れた設定だ。
<コント「部屋探し」>
「どういったお部屋ですか」
「これワンルームのアパートになってるんですけど、核ミサイルもついてますね」
「核ミサイル?」
「はい、ここだけの話、隣の部屋にも核ミサイルが配備されてまして、もしかしたら隣の部屋から核ミサイル撃ってくるかもしれないじゃないですか」
「なるほど~。他の部屋紹介してください。できれば核抜き本土並みみたいな物件」
「一戸建てで3つお部屋があり、3名でシェアハウスしてもらってます。核ミサイルの方も3名でシェアです」
「また核ミサイルですか?」